理想のスタイル (1):インフォーマルな学び
日頃から「プロジェクト」について、いろいろなことを考えているのですが、なかなか整理をするのが難しく…。断片的になってしまうとは思いつつ、「理想のスタイル」として書いてみることにします。
まずは、つい昨日のできごとから。
今年の春から、大学院の「メディアデザイン」プログラム(MDP)の教員メンバーになりました(「ソシオセマンティクス」とかけもちです)。
[なぜ、加藤が「メディアデザイン」なんだ?と異論を唱えるかたもいるとは思いますが、まぁそういうことなんです…。]
MDPに所属する大学院生は、複数のレビューアドバイザーを決めて、学期中に「面談」をして、じぶんのアイデアをブラッシュアップする(あるいはちがった観点から考えてみる)ことになっています。かけもち教員とはいえ、4名の学生から連絡があって、昨日はその第1回目(一人目)。
結論から言うと、おもしろかった…。
ぼくがアドバイザーとして役に立ったのかどうかはともかく、おもしろかった…ということが重要なのです。学生が、みずから取り組んでいる課題について何らかの「こたえ」を求めているとすると、ぼくがその「こたえ」を(すでに)持っている可能性は低いかもしれない。でも、この「面談」のなかから「こたえ」のヒントが見つかる可能性はある。そういう認識で、学生と話をしました。(アドバイザーと呼ばれるにふさわしく)アドバイスをすることは、もちろん役割としてはきちんと認識しているつもりだけど、わずかな時間でも刺激的なコミュニケーションの〈場〉が構成されれば、それはとても愉快なことです。
なぜおもしろかった、と感じたのか。それは、学生の持っているアイデアだけではなく、わずか数十分のやりとりをつうじて、ぼくの想像力や創造力が刺激されたということなのです。正確にいうと、「インフォーマルな学び」の重要性をあらためて認識した…そのおもしろさなのかもしれません。
現在の大学で、さまざまなアクティビティを規定する「教室」「講義」「時間割」といったコンセプト・仕組みが、知識を生成すること・クリエイティブな作業をすることにとっては、とても窮屈なものだと感じます。もちろん、「教室」で学ぶことは多いし、「講義」型であったとしても、さまざまな学びの機会になることはまちがいないのでしょう。ただ、「時間割」で決められた時間に「教室」という場所に集まるというふるまいは、じつは「プロジェクト」には不向きなのではないかと思うのです。
ぼくの大学院生時代(三田に行っていたころ)をふりかえってみても、「講義」の時間が終わったあとに、近くの喫茶店(いまはもうなくなってしまったけど)で、先生といろいろな話をしたことがとてもためになった(ためになっている)と思います。コーヒーを飲みながら聞いた話、紙ナプキンに書いたメモや図。くわしくは思い出せないのですが、「インフォーマルな」時間が、いまのじぶん --- 大げさにいえば、研究者としてのアイデンティティの形成 --- にとって、少なからぬ影響をあたえていると思うのです。
いま、大学でクリエイティブな活動をしている(と思える)「プロジェクト」は、いろいろな窮屈さを解消し、「インフォーマルな」時間を活かすためのくふうをしているように見えます。
現行の「時間割」(およびその他もろもろの「大学らしさ」を規定するコンセプトや仕組み)を前提としたとき、どのような「インフォーマルな学び」の〈場〉を実現できるか…が課題です。
(つづく)

コメント
そういわれてみれば、ネコミなんてインフォーマルの塊みたいなものでしたね。
だからあれはあんなにも面白かったのか。
そして、今も引きずって(ncg3を覗いたり)いるのか。
気づけばミーティングになっている、けれども、ミーティングをしようと思ってご飯を食べているわけではない、濱町とかね。
かといって、フォーマルなときにフォーマルにできない、というのは問題外であって、ふざけているというわけでもない。のめりこめば勝手にインフォーマルな時間がフォーマル(な内容の盛り込み)に変わってしまうんでしょうか。
私の学生時代の気づきや学びのきっかけは、記憶しているもののほとんどはそういえばインフォーマルかもしれません。でもそれらはフォーマルから得たものがベースになっているから、結局「同時に、複合的に」存在する場なのかもしれません。
(つづき次第)
Posted by: beat | 2004年05月19日 09:10
記事を読んだ後、先生をメッセンジャーで探したのですがオフラインでしたので、ここに足跡だけでも。
(本当にちょうど)おなじことを友達にもらしていたので、うんうんと頷きながら読みました。同感です。
そして先生という立場の加藤さんがインフォーマルな学びを目指しているというのが、なんともうれしかったです。では。
(つづきも期待)
Posted by: tacoya | 2004年05月19日 00:53
>「インフォーマルな学び」の〈場〉が実現できるか
たしかに、私も既存の「学習の場」以外の場での学びが自分の「面白いところ」をかなり形成してきたと感じています。
先生が先生と話していたときに…、というように自分も先生と話を(分かりにくいですね…)しているときにいろいろ面白いことを考えたり発見したりしたし、もちろんそれは他の大学時代の友達との、長い新宿までの車内や、今でも続くプロジェクトメンバーとの定期的な集まりの」場」でも同じことがありました。
ですが私はこう考えました。
こういった「インフォーマルな学びの〈場〉」というものは、作り出そうとおもった瞬間から現出不可能になってしまうのではないかと。
つまり、何ものにも管理・制御されない学びの場だからこそ自由な発想や視点で物事を考え語れるのだと思ったからです。
ですから、「インフォーマルに…」と心のどこかで意識してしまった時点で、もう何かしらの「枠」ができてしまい、窮屈なプロジェクトになってしまうのではないかと。
しかし、ただ勝手好き放題に話すのはただのおしゃべりであり、何らかの目的や決まりのもと話を進めねばならない大学でのプロジェクトにおいて、そういった縛りの中でいかにインフォーマルな場を作り出せるかは重要なテーマであると今振り返り思います。
「授業だから」という意識を学生にどう打ち消させるのか。「すきだから」という理由で勉強させてあげられないのか?そもそも、それは進路指導に問題があるのでしょうか……。
(つづきを待つ)
Posted by: shimaken | 2004年05月18日 22:08