[ 2005年06月 ]

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2005年06月24日

 柴又

さて、カメラには江の島のときのフィルムが残っていたので、柴又にも連れて行ったのです。これは、10日ほど前、た●ちんと一緒に、声の録音に出かけたときの写真です。まだ腰は痛かったのですが、この日に(思っていたよりもたくさん)歩いたおかげで治ったような気もします。

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【2005年6月13日(月):柴又にて】

山本亭でちょっと一息していたら、爽やかな気分になりました。

 江の島

すでに3週間ほど前の話になりますが、「フィールドワーク法」の補講をおこないました。この日の天気予報は、雨(所によっては雷雨)。迷いましたが、決行。集合時間のお昼頃にはすっかり晴れました。Oやまくん(※この写真は2003年の冬)もひさびさに登場して、のんびりと過ごしました(もちろん、生しらす丼も食べました)。

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【2005年6月4日(土):江の島にて】

この前の日は大阪で仕事をして、ビッグマンで待ち合わせをして、最終の新幹線で帰ってきました。疲れてはいたのですが、まだ梅雨入り前のさわやか土曜日でした。そ、そしてこの数日後…腰に激痛が走り、梅雨空になり、若貴はさらに険悪ムードとなりました。

2005年06月17日

 黄色い太陽

梅雨入りしました。昨日はずっと降っていましたね。
大人になると(というより、歳をとると)、“子供らしさ”を求めたりします。『ビッグ』(トム・ハンクスのやつね)で描かれたように、子供にはのびのびと自由な発想がある。たしかにそうだな…と思いつつ、子供の日生まれの代表(※注:もはや、いまでは腰痛に悩まされるオジサンです)として、子供の言い分です。そう、子供は子供で、意外と窮屈だったのかもしれない…などと思うのです。小学生のころの話なので、記憶はあやふやで、おそらく誇張されているとは思うのですが、腰に手を当てて、ビンに入った牛乳をクイッと飲んでしまいそうな、そんなKさんのことを思い出しました。

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ぼくは昔から、絵を描くのはきらいではありませんでした。小学生のころの絵も、探せばたぶん何枚か出てくると思います。画伯(※注:現在4年生のか●ちゃん)ほど上手ではなかったのですが、とにかく描くのは好きでした。不思議なことにクラスで「絵を習った」という記憶はありません…にもかかわらず、クラスのみんなが、空は「青」、太陽は「赤」、そして人の顔は「肌色」といった具合に、まるで、あらかじめ決められているかのように絵を描いていたことを覚えています。パレットというものがありながら、絵の具を混ぜることはあまりせずに、チューブから出てきた色をそのまま使うような感じです。そう、のびのびと自由な発想ではなく、極端に言えば、「お決まり」の絵が同時にたくさん描かれていたわけです。
もしかすると、ぼくの小学生時代というのは、ちょうど“豊かさ”が生活の身近なところに目に見えるかたちで現れていたころで、混ぜる必要がないくらい、何色もの絵の具が箱に入っていたのかもしれません(何色あったのか覚えていないのですが)。

そんな中で、Kさんの絵だけはちがっていました。一番強烈に覚えているのは、黄色い太陽です。さらに、人の顔も「肌色」(たしかにあの「肌色」というのはヘンですね)ではなく「黄土色」とか「茶色」のような感じでした。そのことを、なぜか鮮明に覚えています。どことなく、ぼくたちの描く絵が(子供ながらに)子供っぽく見えて、Kさんの絵は、(適切なことばが見つかりませんが)“外国っぽい”感じがしました。おそらく、Kさんには、ぼくたちには見えないものが見えたのだと思います。そう、もちろん真っ赤な太陽もあるけれど、黄色い太陽もあるのです。子供の世界では(大人の世界でもそうですが)、ひととちがうということが、場合によっては歓迎されなかったり、じぶんを孤立させてしまったりすることも、Kさんはすでに知っていたのかもしれません。ぼくは、なんとなく黄色い太陽や“外国っぽい”絵のほうがかっこいいな、と思っていながらも、じぶんが赤い絵の具をつかっていることが、少し恥ずかしいような気分になりました。

さて今ごろKさんは、夜ごとにネットワークを徘徊し、腰痛に悩まされているかもしれません。梅雨の晴れ間には、じっくりと太陽を見上げてみたいと思います。暗くてジメジメした日が続いた分だけ、太陽はまぶしく見えるはずです。確実に夏に近づいていることを感じさせてくれます。そして、きっとそれは、黄色い太陽なのです。

2005年06月03日

 ビッグマンで待ち合わせ

ひさしぶりに関西に行ってきました。つい数年前まで暮らしていたことさえ忘れてしまいそうなほど、忙しい毎日なのですが、新幹線の窓を流れる景色で、とたんに記憶がよみがえります。京都に近づくと、ほんの一瞬、キャンパスへと続く道が見えます。高架と直交するその坂道を、ふだんはクルマで通っていたのですが、きょうは上を通過です。その懐かしい風景はすぐに消えてしまい、やがて山科のトンネルを抜けます。
大阪での仕事のあと、R大のころのゼミ生と食事をしました。きょうは(というより、きょうも?)東京に戻る電車の時間を気にしながらの数時間でしたが、ひさしぶりに会って、愉しく過ごしました。卒業して、もう3年目?まだ3年目?…時間は早く過ぎているようでもあり、じつはゆっくりなのかもしれないなどと考えつつ、淀川の向こうに陽が沈むのが見えて、ビールと酎ハイというところでお開きになりました。

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職場が変わる。450キロも遠くに行く。大きな変化があったということ、とても忙しかったということは、正当な言い訳になるのかもしれませんが、やはり、あの時期は、多くのひとに迷惑をかけてしまいました(いまさら、こんなことを書くのもヘンですね)。結局のところは、西でも東でも、中途半端な仕事しかできず、不本意なじぶんに嫌悪感のようなものを抱きながら、時間が過ぎました。あの2年間は、書きかけのまま出せずにいる手紙の返事のように、あの頃からずっと心の片隅に残っているのです。「あの頃のぼくは、本当のぼくではない」などと言って、お詫びをして、償うという性質のことではないし、そもそもそんなことは不可能です。いずれは笑ってふり返ることができるだろう、と思ったりもします(きっと、そうです)。それよりも、これからどうするか、を考えることが大切なのでしょう。

たとえば若貴が、また笑いながら握手をしてくれるかどうか…それについては時間に任せるしかないのかもしれません。でも、時間が経つのを待つだけではなく、時間をつくってゆくこともできる。そう思います。べつに、何か思いつめているわけではないのです。重大な決断をしたわけでもありません。ほろ酔い気分も手伝って、きょうはなんだかいい一日だったなぁ、と余韻に浸っているのです。笑い声も“オバちゃんトーク”も「がんばれジーコ・ジャパン」も「最近、松坂世代スゴイ」の話も、他愛のないことのようでいて、確実にぼくの深いところに届きます。うむ。きょうは愉しかった。
ぼくがあの2年間を背負っていることなどとは無関係に、車窓の風景は流れます。電子メールではなく、ハガキのスピードで、これからの時間をつくりたいと思います。ありがとう。