8月になりました。暑い日が続いています。さて、7月27日(火)で「学生ラウンジ」が閉店となりましたが、あたらしいラウンジをどうデザインするか…考えてみましょう。このサイトで「理想のスタイル」というカテゴリーで書いている内容の“つづき”です。
こんなのはどうでしょう…。あくまでも叩き台(※)です。具体的であればあるほど、ツッコミやすいので、そのためのアイデアです。叩かれることが前提ですが、愛にあふれる批判・検討をお願いします。
■基本的な考えかた
ラウンジは、みんなの〈場〉です。
ラウンジは、出会いの〈場〉です。まず、「学生ラウンジ」の「学生」を取って、何かべつの名前をつけましょう(とりあえずは、ラウンジと呼んでおきます)。学生のみならず、教職員、場合によっては中高生(外部?)も利用する〈場〉として考えなおします。朝のコーヒーを飲みたいのは学生だけではありません。食環境だけではなく、広い意味での生活環境をより良くしたい…というのは、キャンパスに集うすべてのひとの問題です。“カフェ”が、ひととひととを結びつけ、創造的な活動につながること。これはいろいろな都市研究では指摘されてきたことですが、たんに癒されるだけではなく、刺激を受ける/与える〈場〉として位置づけます。そのためには、「おしゃれ」な空間にする必要があります。大学という〈場〉におけるラウンジなので、あくまでも知的な活動を支える空間として考えます。つまりそれは、時間・空間の使いかたをつうじて、ひとつのライフスタイルの提案が可能になるような〈場〉です。“たまり場”としての利用はもちろんかまわないのですが、ラウンジに眠気や疲れを沈殿させる(≠おしゃれ)のではなく、むしろそれらを吹き飛ばす(=おしゃれ)ようなラウンジになるといいでしょう。
ラウンジはキャンパスの“ヘソ”です。
あらためて考えてみると、ラウンジのロケーションはすばらしいのです。眺めはいいし、1Fは三方がガラスだし、なかなか良いと思います。さらに、キャンパスの“ヘソ”としてのシンボリックな場所として理解することもできます。デザイン棟や大学院棟のほうからも、ほどよい距離です。おしゃれな空気を味わうために、勉強や仕事の手を休めて、ちょっとラウンジまで散歩する…ラウンジで栄養も気分も補給して、またじぶんの居場所に戻る。そういうライフスタイルです。ラウンジで知り合いに会ったら、一緒に食事をすればいいし、コーヒーをおごったり/おごられたりしてもいいでしょう。もはや「学生ラウンジ」ではないのですから、もっと教職員がビジビリティを高めなければダメです。研究室で、コンビニのおにぎりを食べながらメールをチェックするのもいいのですが、たまにはオープンカフェで学生と一緒にお昼を食べるのも悪くないですよ、きっと。
ラウンジはオープンな空間です。
さらに、ラウンジを“レンタル・スペース”のようにして使うというのはどうでしょうか。「食環境」についての要望はいろいろあると思うのですが、うまく「時間割」を組んで、希望する研究プロジェクト、サークル、学生団体などに開放します。たとえば、研究プロジェクト最終報告・卒業制作などの発表会、写真・絵などの展示スペース(ギャラリー)、ダンス・演劇・歌・音楽などのためのステージ、その他、“レンタル・スペース”として活用します。ときどき、ラウンジから音楽が聞こえてくることがありますが、きちんとラウンジのイベントカレンダーをつくって、つねに何かが起きている〈場〉になればいいと思います。
■何をするか
以下は、某ラウンジプロジェクトのミーティングで出たアイデアをふまえつつ、(ぼくの趣味と思い入れをくわえて)まとめたTo Doリストです。なお、実現可能性については、まだこれからです。とりあえずは、あたらしいラウンジのイメージをつくります。
キレイにする。
清潔感のある場所にしましょう。ぼくはあまり利用することがないので、実際に見てみなければわからないのですが、どうもキタナイようです。汚れたカーペットはやめて、フローリングとかテラコッタのタイルのようなものに貼りかえて、デッキブラシでゴシゴシ掃除できるような床にします。そして、机とイスもガタガタするようなので新調します。ラウンジということを考えるとソファなどもほしいところですが、イベントスペース的な利用を考えると、移動が楽なものにしておいたほうがいいでしょう。
もっと屋上をつかう。
キャンパスの“ヘソ”として、ラウンジの屋上は眺めのいい場所です。いまは暑すぎてラウンジに行く途中で熱中症になる可能性がありますが、春・秋などは、あそこで集うのは気持ちがいいはずです。そのためには、屋上にもカフェ用の机とイス、そしてパラソル(ガーデンパラソル)を置きます。ひとがたくさん集まるようなら、オープンカフェに置いてあるような屋外ストーブ(パラソルストーブと呼ぶらしい)も置いて、寒い冬でもカモ池を眺めながらカフェオレを飲みましょう。
さて、問題は階段です。屋上に行く階段がひとつだけなので、不便です。たとえば1階でサンドイッチとコーヒーを買って、“上で”食べよう…ということになったとき、外に出て、ぐるっと回って階段まで行く必要があります。大がかりな工事になったり、美観を損ねたりという問題はありますが、あらたな階段の設置について検討する価値はあります。
食環境を改善する。
「食環境改善プロジェクト」がすでに動いているので、同プロジェクトの実施した調査結果をふまえつつ、ラウンジの設備の現状に合った方法を考えることになるでしょう。飲食については、複数の業者による日替わりの“出前”方式がいいと思います。ある程度のクオリティのものが欲しい気がしますが、ポイントはラウンジという〈場〉の機能です。キャンパスの“ヘソ”として、磁力のあるスペースにすることが大切です。
ただ、いくつかの業者にはコンタクトを取って、実現可能性を確認するべきでしょう。あえて固有名詞は出しませんが、コーヒー、サンドイッチ、ピザ、ベーグル、ドーナッツ、スープ、おにぎり、などラウンジで大がかりな調理が必要ないタイプの食べ物・飲み物を扱う業者に入ってもらうといいですね。最近はコメダまでモーニングを食べに行く学生がいるようですが、やはり朝は大事なので、朝8時に開けましょう。あとは昼間です。夕方〜夜は、朝・昼にくらべると利用者数が読みにくいかもしれないので、イベントスペースとしての色彩を強めてもいいかもしれません。
ギャラリーとしての設備を整える。
ギャラリーのような多目的スペースとして使うのであれば、簡易ステージをつくったり、照明を変えたり、額やパネルを掛けたりできるように工事をしておくといいかもしれません。
(つづく)
まだ書くべきことがたくさんあるのですが、とりあえずこの状態で…。
※【叩き台】(たたきだい):これから批判・検討を加えて良い案としていくための、最初に出される案。
社長からのコメントにありましたが、もし、コメダ珈琲で無線LANが使えたら、いいですよね(昨日前を通ったら、6月24日オープンと書いてありました)。あの距離感がまたちょうどいいような(駅までだと遠すぎるし、あの信号を越えるとなんとなくキャンパスから離れた感じになるし)。サンフランシスコを旅している友人によると、B&Nのような書店にはちゃんと?スタバがあって、みんなコーヒーを飲みながら本(これはレジで清算を済ませた本…である必要はなく、売り物の本を書架から持ってくるんです)を読んでいたりするそうです。ところで皆さん、「研究室(共同研究室)」のカフェ化は済みましたか?つぎは、キャンパスにラウンジをつくる…という話です。
昨年秋から、「メディアセンター」でも「新飲食ルール」の試行がはじまりました。「禁止エリア」を除いて、飲み物(ペットボトル等「密閉できる容器に入った飲み物」)がOKとなりました。もちろんこれは大学全体としてのルールがあるので、いろいろと変えていくのは難しいのでしょう。
※以下、まったく勝手な意見です(実現可能性は低いでしょう)。
いっそのこと、「メディアセンター」の1階をラウンジにしてしまう…というのはどうでしょうか?
飲食物の「持ち込み」を減らすためのひとつの方法は、中で販売してしまう…ということかもしれません。もちろん「持ち帰り」も可能になります。
そんなことになったら、ぼくは読みかけの本や書類を持って通いますよ(スタンプカードもつくってください)。オフィスアワーもラウンジで…ということにします。研究室などで美味しいコーヒーを淹れることも可能ですが、数百円で(わりと)ちゃんとしたコーヒーを飲めるんだったら、教職員もそこそこ利用するのではないかと思います…。やはりコーヒーブレイクは必要ですから。そこでほかの教職員に会ったり、学生と会ったりしたら、それこそ“インフォーマル”に語ればいいのです。ムズカシイ話をする必要はないので、お互いのビジビリティをもう少し高めてみるということです。べつにことばを交わさなくたって、「あ、コーヒー買ってる」という姿を見る(見せる)ことが、意味を持ちます。
三田に通っていたころ、研究室棟にある「談話室」は、不思議な魅力をもった場所でした。教員と一緒じゃないと入れなかったのですが、先生と一緒に「談話室」にいると、他の先生が入ってきて、先生どうしが「ふつうの会話」をする。そんな場面が、とても印象的でした。三田キャンパスの、たいせつな文化のような感じがしました。
このラウンジ計画(と呼びます)、だれかプロジェクト化してマジメに考えてくれないかなぁ。ぼくは応援しますよ、全面的に。どの程度実現不可能(実現可能)なのか…ということを調査することからはじめませんか?(そう言えば、いろいろなフランチャイズ店を呼ぼうとしていた学生がいたような。あれ、その後どうなったんだろう?)
(つづく)
早いもので、今学期(2004年春)もだいたい「折り返し」となり、〈場〉のチカラ プロジェクトのほうの中間プレゼンテーションも終わりました。今回は、「共同研究室」の環境について。「時間割」や「教室」を脱して、インフォーマルな学び…を追求していくと「(大学の)教室」でも「(家の)じぶんの部屋」でもない、いわゆる「第三の場所」が必要になります。それは、「アトリエ」や「スタジオ」としてデザインされるわけですが、「カフェ」としての意味も重要です。
今年の1月末から「共同研究室」が利用できるようになり(おかげで、ぼくの研究室が荒れることもなくなりました)、ここ数週間はプロジェクトの中間プレゼンテーションを控えて、学生たちの「残留」が増えました。もちろん、「残留」すればクオリティの高いものができる…ということではないのですが、どちらかというとぼくは「残留派」です(じぶんが「残留」という意味ではなく)。ムダの多いミーティングには閉口しますが、“よいムダ”があることは、これまでの経験からもまちがいないと思うからです。アイデアが生まれる〈場〉は3つのB(Bed, Bath, Bus)であることが多い…とよく言われますが、「残留」はそれに近い状況をつくりだすのかもしれません。
無線LANが整備され(ちょっと弱いけど)、多くの学生がラップトップを持ち歩くようになったときの「共同研究室」には、何を揃えたらいいのか。すぐに思いついたのは「カフェ」にする…ということです。もちろん、デザイン棟のようにキッチンとかシャワーとか、そういうものも加わるのが理想ですが、とりあえず、いま与えられたスペースを最大限に活用するには、「共同研究室」という名の“たまり場”をつくることを考えました。
環境を整えるだけではダメなので、勉強はじぶんでやらなければならない。人よりも、何百倍も何千倍も孤独な時間を受け入れる覚悟をしなければならない。人ときちんと向き合って話をしなければならない。逃げずに、語らなければならない。
でもそのいっぽうで、じぶんの学びを助けてくれる、愛すべきモノたちにもこだわることが重要なのです。無線LANもラップトップも必要ですが、冷蔵庫(理想的にはガラス扉の業務用のやつ)もコーヒーメーカー(いちおうエスプレッソとかカプチーノも淹れることができる)も大切です。「図書館」での飲食は、まだまだ問題になるようですが、アメリカのいくつかの大学では、図書館やブックストア(生協)の中にスタバのようなコーヒーを出すコーナーがあります。留学中によく行った書店でも、エスプレッソを飲めるようになっていて、(高くて買えない/重くて持ち帰ることができない)大型本をパラパラめくりながら、時間を過ごしました。
じぶんと向き合う/人と向き合うコミュニケーションの〈場〉は刺激的に…。さて、ここで引用です。
Good communication is as stimulating as black coffee, and just as hard to sleep after. Anne Morrow Lindbergh
[意訳:ブラックで飲んだときみたいに、眠れなくなっちゃうんだよ。]
(つづく)
さて、昨日のエントリーにさっそくコメントをいただきました(どうもありがとう)。たしかに、シマケン(ひさしぶりー)のコメントにあるように、「フォーマル」と「インフォーマル」を分けた時点で、それはある種の「時間割」をつくっているようなものですね。「フォーマル/インフォーマル」という言い方は、おそらくあとでふり返ってみたとき(あるいは状況と関わりを持たない観点から見たとき)、じぶんはどのようなとき --- どのような状況で --- 学んだかについて整理するのに便利なのかもしれません。「さぁ、いまはインフォーマルな時間だから、学びましょう!」という話ではないわけですから。
ところで、ぼくが担当している科目には、ひとつの共通するテーマがあります。年間をつうじて考えると、「研究プロジェクト」以外に「ネットワークコミュニケーション」「フィールドワーク法(旧:「社会調査法B」)」「行動と社会関係」「情報環境論」を担当していますが、いずれの科目でも“「教室」を拡張する”ということが重要なテーマになっているのです。これは、いわば“隠れたアジェンダ(hidden agenda)”なので、(書くことで“隠れた…”ではなくなるわけですが)ことなる科目間のつながりについては、あまり話したこと(整理したこと)がないはずです。それぞれの科目で取り扱うべき内容(講義科目としての目的)はちがっていても、考えようによっては、さまざまな講義内容・方法をつうじて、“「教室」を拡張する”ことの意味を、伝えたいのかもしれません。つまり、「教室」そのものの性質を変えてみる、あるいは「教室」の外へと活動を拡げることで、学習の目的・方法・場について再度考えてみる…ということです。
「研究プロジェクト」については、運用面では毎学期少しずつ実験を続けているのですが、ここ数年の考え方はさほど変わっていません。
とりあえず、暫定的に整理しておくと:
・「プロジェクト」と呼ぶべき活動は、「教室」ではなく、どこかちがう「現場(=フィールド)」が中心的になる。:たとえばフィールドワークやゲームとしてつくられる〈場〉など。「プロジェクト」によって、毎週決められた時間に決められた部屋に行く…というルーティン化される活動のリズム/スピードが変わり、どちらかというと「インフォーマル」な〈場〉としての特質が際立つ。そのとき・その場で意識できなくても、ふり返ってみると、創造的な活動として評価できることが多い(ことを願う)。・「時間割」上で決められた「研究プロジェクト」は、おもに、メンバーが発表をおこなう〈場〉であり、同時に和む(まったりする?)〈場〉である。:「教室」の外での活動を前提として、それぞれの「プロジェクト」について知る、あるいはゲストや大学院生の活動について知識を得る。上記の「プロジェクト」とくらべると、より「フォーマル」な側面が際立つ(準備されたプレゼンテーション;プレゼンテーションのためのファシリティーの要件;全体の進行の構造化など)。同時に、メンバー全員が集う〈場〉としての愉しさや居心地のよさが求められる。
「時間割」のおかげで、メンバー全員が定期的に、フェイス・トゥ・フェイスで会うことを可能にするのが「研究プロジェクト」の時間です。じつは、「グループワーク」をしようと思って、全員がおなじ時間・場所に集まろうとすると、スケジュールの調整は難しいわけで…。定期的に会うことができれば、まずはお互いの無事を確認する…というところからはじまって、メンバーの近況について知り、ある種の連帯感や帰属意識を感じることのできる時間として、とても有意味なのだと思います。前のエントリーで書いたように、もし、「インフォーマル」な場面がより重要だという立場を取るならば、それは、より「パーソナル」な関係を深めていくことにつながるのではないかと思います。週2回の「教室」での集まりは、その「インフォーマル」な〈場〉への“アクセスポイント”のようなものですね、きっと。
これは、あくまでも「理想のスタイル」なので、現実的にはいろいろな調整をして、現在の「研究プロジェクト」の姿になっているのだと思います。そのためには、くふうも必要だし、理想ばかりではいられないのですが、そのあたりの「折り合い」をどうつけるのか。これについてはまた別のエントリーで整理してみます。
(つづく)
日頃から「プロジェクト」について、いろいろなことを考えているのですが、なかなか整理をするのが難しく…。断片的になってしまうとは思いつつ、「理想のスタイル」として書いてみることにします。
まずは、つい昨日のできごとから。
今年の春から、大学院の「メディアデザイン」プログラム(MDP)の教員メンバーになりました(「ソシオセマンティクス」とかけもちです)。
[なぜ、加藤が「メディアデザイン」なんだ?と異論を唱えるかたもいるとは思いますが、まぁそういうことなんです…。]
MDPに所属する大学院生は、複数のレビューアドバイザーを決めて、学期中に「面談」をして、じぶんのアイデアをブラッシュアップする(あるいはちがった観点から考えてみる)ことになっています。かけもち教員とはいえ、4名の学生から連絡があって、昨日はその第1回目(一人目)。
結論から言うと、おもしろかった…。
ぼくがアドバイザーとして役に立ったのかどうかはともかく、おもしろかった…ということが重要なのです。学生が、みずから取り組んでいる課題について何らかの「こたえ」を求めているとすると、ぼくがその「こたえ」を(すでに)持っている可能性は低いかもしれない。でも、この「面談」のなかから「こたえ」のヒントが見つかる可能性はある。そういう認識で、学生と話をしました。(アドバイザーと呼ばれるにふさわしく)アドバイスをすることは、もちろん役割としてはきちんと認識しているつもりだけど、わずかな時間でも刺激的なコミュニケーションの〈場〉が構成されれば、それはとても愉快なことです。
なぜおもしろかった、と感じたのか。それは、学生の持っているアイデアだけではなく、わずか数十分のやりとりをつうじて、ぼくの想像力や創造力が刺激されたということなのです。正確にいうと、「インフォーマルな学び」の重要性をあらためて認識した…そのおもしろさなのかもしれません。
現在の大学で、さまざまなアクティビティを規定する「教室」「講義」「時間割」といったコンセプト・仕組みが、知識を生成すること・クリエイティブな作業をすることにとっては、とても窮屈なものだと感じます。もちろん、「教室」で学ぶことは多いし、「講義」型であったとしても、さまざまな学びの機会になることはまちがいないのでしょう。ただ、「時間割」で決められた時間に「教室」という場所に集まるというふるまいは、じつは「プロジェクト」には不向きなのではないかと思うのです。
ぼくの大学院生時代(三田に行っていたころ)をふりかえってみても、「講義」の時間が終わったあとに、近くの喫茶店(いまはもうなくなってしまったけど)で、先生といろいろな話をしたことがとてもためになった(ためになっている)と思います。コーヒーを飲みながら聞いた話、紙ナプキンに書いたメモや図。くわしくは思い出せないのですが、「インフォーマルな」時間が、いまのじぶん --- 大げさにいえば、研究者としてのアイデンティティの形成 --- にとって、少なからぬ影響をあたえていると思うのです。
いま、大学でクリエイティブな活動をしている(と思える)「プロジェクト」は、いろいろな窮屈さを解消し、「インフォーマルな」時間を活かすためのくふうをしているように見えます。
現行の「時間割」(およびその他もろもろの「大学らしさ」を規定するコンセプトや仕組み)を前提としたとき、どのような「インフォーマルな学び」の〈場〉を実現できるか…が課題です。
(つづく)