およそ80年ほど前の5月中旬、今和次郎らがおこなった「銀座採集」。京橋から新橋までを歩きつつ、「頭からつま先まで」を採集するというフィールドワークです。「研究プロジェクト」で今和次郎について調べているグループの企画で、昨日、平成16年版の「銀座採集」がおこなわれました。

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【左:京橋にてスタート準備 / 右:採集用シート】

雨に降られることはなかったのですが、湿度の高い日でした。アップルストアに集合ののち、京橋へ。そのあとは、それぞれがあらかじめ準備されていた採集用のシートを手にして、およそ3分おきにスタート。もともとは、どこかクーラーのきいたカフェを「本部」にして、のんびりと学生たちのフィールドワークを見守っていようと思っていたのですが、人数不足のためかフツーの「調査員」となりました。ぼくは、「持ち物」シートを担当することになり、京橋から新橋まで、シートに“正”の字を記しながら歩きました。今和次郎らの方法をほぼ再現し、三越側の歩道を歩き、すれちがったひとを対象に採集。
男性を対象に1回目。ふたたび京橋に戻って、女性を対象に2回目。やはり、フィールドワークは楽しい。この面白さを体験することは、とても大事だとあらためて感じました。伊東屋を過ぎたあたりから急にひとの往来が増えて、三越前(4丁目交差点)は「難所」でした。信号を渡って、松坂屋の前くらいまで行くと、もうひとはまばらに。

昨日の「採集」で興味ぶかかったのは「手ぶら」率。ふつうに考えてみれば、なんとなく予想どおりの結果かもしれないのですが、女性の「手ぶら」はほぼ0%(ひとりだけ、小学生くらいの子供が「手ぶら」;あとは年齢を問わず、すれちがったすべての女性が何かを「持って」いました)。いっぽう、男性の「手ぶら」はけっこう多かったです。あと、「ひとりで手ぶら」も多いようです。

さて、銀座に赴く理由はひとそれぞれだと思いますが、“究極のモバイル”は、「手ぶら」なのです。それが、カッコイイのです。どうやって「仕事」を持ち歩くか。どうやって「自分の世界」を携帯するか。いろいろと工夫して、バッグの中身を軽くしたり、あるいはオシャレなバッグをさがしたり。それはそれで楽しさでもあるけれど、やはり「手ぶら」が一番。近ごろ「ユビキタス社会」などということばをよく耳にしますが、「いつでも・どこでも」のために、バッグが大きくなるのはダサイ。ケータイにすべてを凝縮するのもちょっと…。「手ぶら」で歩くこと。その解放感は格別です。

面倒な認証は「顔パス」で。“ソーシャルネットワーキング”は「いつもの店」で。そして、お勘定は「ツケ」で。これぞ、「ユビキタス」。

  • 2004-06-07 10:06:36
  • きょうのシモムラ(仙台で牛タンを食べた、の巻)
さて、先日もお知らせしました、「シモムラよ、集まれ」という企画。けっきょく、仙台までやって来たのは一郎だけでした。四郎は、ギリギリのところまで旅の準備をすすめていたようですが、無理でした。次郎と三郎からは相変わらず何の連絡もありません。仙台はカラッと晴れて、気持ちのいい日曜日でした。その間に、関東地方は梅雨入りしたようです。

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シモムラ一郎に同行し、仙台までやってきた面々は、牛タンを食べに行ったりしつつ、日本シミュレーション&ゲーミング学会の「奨励賞」を受賞し、東北大学農学部のキャンパスを去ったのでした。

  • 2004-06-01 08:03:02
  • 理想のスタイル (4):キャンパスにラウンジをつくる。
社長からのコメントにありましたが、もし、コメダ珈琲で無線LANが使えたら、いいですよね(昨日前を通ったら、6月24日オープンと書いてありました)。あの距離感がまたちょうどいいような(駅までだと遠すぎるし、あの信号を越えるとなんとなくキャンパスから離れた感じになるし)。サンフランシスコを旅している友人によると、B&Nのような書店にはちゃんと?スタバがあって、みんなコーヒーを飲みながら本(これはレジで清算を済ませた本…である必要はなく、売り物の本を書架から持ってくるんです)を読んでいたりするそうです。ところで皆さん、「研究室(共同研究室)」のカフェ化は済みましたか?つぎは、キャンパスにラウンジをつくる…という話です。

昨年秋から、「メディアセンター」でも「新飲食ルール」の試行がはじまりました。「禁止エリア」を除いて、飲み物(ペットボトル等「密閉できる容器に入った飲み物」)がOKとなりました。もちろんこれは大学全体としてのルールがあるので、いろいろと変えていくのは難しいのでしょう。

※以下、まったく勝手な意見です(実現可能性は低いでしょう)。
いっそのこと、「メディアセンター」の1階をラウンジにしてしまう…というのはどうでしょうか?

もちろん、静かにひとりで本を読むことができるスペースは上の階にきちんと確保します。2階に上がるところにゲートをつくって、必要ならそこで(アメリカの大学の図書館なんかでよくあるように)カバンのなかをチェックします。
1階はどこかのコーヒー店に、「SFC店」として営業してもらいます。ついでなので、限定マグカップとかもつくりましょう。調子にのって、「残留入りブレンド(高カフェイン)」と「残留明けブレンド(高アロマ)」もメニューに加えてみます。それで、ソファとか、ミーティングに使えそうなテーブルをおきます。さらに、デザイン系・ものづくり系の研究室の試作品(照明・家具・情報家電・電子ガジェットなどなど)に触れたりできるようにしておきます(=結果としては、ユースケースの観察、試作品の評価につながります)。無線LANは使えるので、コーヒーを飲みながらメールのチェックやチャットなど快適です。当然、じぶんのラップトップにコーヒーをこぼしたときは「自己責任」です。コーヒー店でアルバイトをしている学生が多いので、バリスタはもうCNSコンサルタントのようにシフトを組んで、エスプレッソでもフラペチーノでも作ってもらいましょう。移動の時間をカットできるので、「空き時間」を有効に活用してアルバイトが可能です。ゴミの問題はGCPに考えてもらいます。

飲食物の「持ち込み」を減らすためのひとつの方法は、中で販売してしまう…ということかもしれません。もちろん「持ち帰り」も可能になります。

そんなことになったら、ぼくは読みかけの本や書類を持って通いますよ(スタンプカードもつくってください)。オフィスアワーもラウンジで…ということにします。研究室などで美味しいコーヒーを淹れることも可能ですが、数百円で(わりと)ちゃんとしたコーヒーを飲めるんだったら、教職員もそこそこ利用するのではないかと思います…。やはりコーヒーブレイクは必要ですから。そこでほかの教職員に会ったり、学生と会ったりしたら、それこそ“インフォーマル”に語ればいいのです。ムズカシイ話をする必要はないので、お互いのビジビリティをもう少し高めてみるということです。べつにことばを交わさなくたって、「あ、コーヒー買ってる」という姿を見る(見せる)ことが、意味を持ちます。
三田に通っていたころ、研究室棟にある「談話室」は、不思議な魅力をもった場所でした。教員と一緒じゃないと入れなかったのですが、先生と一緒に「談話室」にいると、他の先生が入ってきて、先生どうしが「ふつうの会話」をする。そんな場面が、とても印象的でした。三田キャンパスの、たいせつな文化のような感じがしました。

このラウンジ計画(と呼びます)、だれかプロジェクト化してマジメに考えてくれないかなぁ。ぼくは応援しますよ、全面的に。どの程度実現不可能(実現可能)なのか…ということを調査することからはじめませんか?(そう言えば、いろいろなフランチャイズ店を呼ぼうとしていた学生がいたような。あれ、その後どうなったんだろう?)

(つづく)

  • 2004-05-30 11:50:57
  • シモムラよ、集まれ。
映画『アメリ』を観たひとなら、覚えていると思います。アメリが友だちのスチュワーデス(フライトアテンダント)に頼んで、父親が大切にしている人形に世界一周の旅をさせる…(あれは、アメリカで実際にあった話だと聞いたような)。そして、世界じゅうから写真が送られてくる…。写真を撮るほうにしてみれば、あの陶器の人形をわざわざ運ぶのは大変だと思いますが、じっさいに世界のいろいろなところから写真が届いたら、愉しいでしょうね。
で、そんな『アメリ』のシーンを想い浮かべつつ、飲み会のノリでスタートした「きょうのシモムラ」というコーナー。じつは、ブンブンという、意外と育ちが良いキャラクターです(ウォルト・ディズニーとのコラボレーションで生まれた…らしい)。

その「きょうのシモムラ」ですが、早いもので、もうすぐ1年。ふり返ってみると、いろいろなところを旅しました。いろいろなことがありました…。あまりシモムラのプライベートな生活については公開されてこなかったのですが、じつは、シモムラは四兄弟です。現在のところ、シモムラ一郎(埼玉を拠点)とシモムラ四郎(大手町あたり)が活動しており、次郎と三郎はしばらく前から消息不明です。先週の水曜日の晩、日比谷で四郎を目撃しました。いずれにせよ、1年間、シモムラは旅をしていたのです。そして、これからも。

個人的には、美術鑑賞(2003年6月10日12:45)とか、大江戸線のエスカレーター(2003年6月29日14:05)とかが好きなのですが、イギリス、ハンガリー、ウィーンあたりにも行きました。最近は、都心で残業していることが多いようです。

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一度にシモムラの1年間をふり返ってみたい場合はここをクリックしてください。

ということで、突然ですが、「きょうのシモムラ」1周年を記念して“シモムラよ、集まれ”を下記のとおり開催します。次郎も三郎も、これを読んでいたら、もうだいじょうぶだから、何も心配しなくていいから、ぜひ来てください。来るのが無理だったら、せめて無事だということを知らせてください。

・日時:2004年6月6日(日)14:30ごろ ※ほぼ1周年です。
・場所:東北大学雨宮キャンパス(農学部キャンパス)第10講義室の入り口あたり

仙台で集うことが不可能だった場合は、また企画します。

  • 2004-05-29 08:16:37
  • ちょこっとPR
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・ドタバタしながらも「慶應デジ組」がデビュー。5月27日(木)の東京新聞・夕刊「みんなのデジタル」(http://www.tokyo-np.co.jp/dgi/)に、がとり(冷やし系)の記事が掲載され、「ネコミ」が紹介されました。

・麿(まろ)の連載でもちょこっと紹介されました。
Blogで広がる教授と学生のコミュニケーション - CNET Japan

  • 2004-05-28 10:53:06
  • 理想のスタイル (3):冷蔵庫とかコーヒーメーカーとか。
早いもので、今学期(2004年春)もだいたい「折り返し」となり、〈場〉のチカラ プロジェクトのほうの中間プレゼンテーションも終わりました。今回は、「共同研究室」の環境について。「時間割」や「教室」を脱して、インフォーマルな学び…を追求していくと「(大学の)教室」でも「(家の)じぶんの部屋」でもない、いわゆる「第三の場所」が必要になります。それは、「アトリエ」や「スタジオ」としてデザインされるわけですが、「カフェ」としての意味も重要です。

今年の1月末から「共同研究室」が利用できるようになり(おかげで、ぼくの研究室が荒れることもなくなりました)、ここ数週間はプロジェクトの中間プレゼンテーションを控えて、学生たちの「残留」が増えました。もちろん、「残留」すればクオリティの高いものができる…ということではないのですが、どちらかというとぼくは「残留派」です(じぶんが「残留」という意味ではなく)。ムダの多いミーティングには閉口しますが、“よいムダ”があることは、これまでの経験からもまちがいないと思うからです。アイデアが生まれる〈場〉は3つのB(Bed, Bath, Bus)であることが多い…とよく言われますが、「残留」はそれに近い状況をつくりだすのかもしれません。

無線LANが整備され(ちょっと弱いけど)、多くの学生がラップトップを持ち歩くようになったときの「共同研究室」には、何を揃えたらいいのか。すぐに思いついたのは「カフェ」にする…ということです。もちろん、デザイン棟のようにキッチンとかシャワーとか、そういうものも加わるのが理想ですが、とりあえず、いま与えられたスペースを最大限に活用するには、「共同研究室」という名の“たまり場”をつくることを考えました。
環境を整えるだけではダメなので、勉強はじぶんでやらなければならない。人よりも、何百倍も何千倍も孤独な時間を受け入れる覚悟をしなければならない。人ときちんと向き合って話をしなければならない。逃げずに、語らなければならない。

でもそのいっぽうで、じぶんの学びを助けてくれる、愛すべきモノたちにもこだわることが重要なのです。無線LANもラップトップも必要ですが、冷蔵庫(理想的にはガラス扉の業務用のやつ)もコーヒーメーカー(いちおうエスプレッソとかカプチーノも淹れることができる)も大切です。「図書館」での飲食は、まだまだ問題になるようですが、アメリカのいくつかの大学では、図書館やブックストア(生協)の中にスタバのようなコーヒーを出すコーナーがあります。留学中によく行った書店でも、エスプレッソを飲めるようになっていて、(高くて買えない/重くて持ち帰ることができない)大型本をパラパラめくりながら、時間を過ごしました。

じぶんと向き合う/人と向き合うコミュニケーションの〈場〉は刺激的に…。さて、ここで引用です。
Good communication is as stimulating as black coffee, and just as hard to sleep after. Anne Morrow Lindbergh
[意訳:ブラックで飲んだときみたいに、眠れなくなっちゃうんだよ。]

アイデアの生まれる(生まれてほしい)〈場〉には、コーヒーの香りがしていたり、あるいはガラス扉の冷蔵庫があったりしても、悪くはないでしょう?

(つづく)

  • 2004-05-19 14:20:40
  • 理想のスタイル (2):隠れたアジェンダ
さて、昨日のエントリーにさっそくコメントをいただきました(どうもありがとう)。たしかに、シマケン(ひさしぶりー)のコメントにあるように、「フォーマル」と「インフォーマル」を分けた時点で、それはある種の「時間割」をつくっているようなものですね。「フォーマル/インフォーマル」という言い方は、おそらくあとでふり返ってみたとき(あるいは状況と関わりを持たない観点から見たとき)、じぶんはどのようなとき --- どのような状況で --- 学んだかについて整理するのに便利なのかもしれません。「さぁ、いまはインフォーマルな時間だから、学びましょう!」という話ではないわけですから。

ところで、ぼくが担当している科目には、ひとつの共通するテーマがあります。年間をつうじて考えると、「研究プロジェクト」以外に「ネットワークコミュニケーション」「フィールドワーク法(旧:「社会調査法B」)」「行動と社会関係」「情報環境論」を担当していますが、いずれの科目でも“「教室」を拡張する”ということが重要なテーマになっているのです。これは、いわば“隠れたアジェンダ(hidden agenda)”なので、(書くことで“隠れた…”ではなくなるわけですが)ことなる科目間のつながりについては、あまり話したこと(整理したこと)がないはずです。それぞれの科目で取り扱うべき内容(講義科目としての目的)はちがっていても、考えようによっては、さまざまな講義内容・方法をつうじて、“「教室」を拡張する”ことの意味を、伝えたいのかもしれません。つまり、「教室」そのものの性質を変えてみる、あるいは「教室」の外へと活動を拡げることで、学習の目的・方法・場について再度考えてみる…ということです。
「研究プロジェクト」については、運用面では毎学期少しずつ実験を続けているのですが、ここ数年の考え方はさほど変わっていません。


とりあえず、暫定的に整理しておくと:

・「プロジェクト」と呼ぶべき活動は、「教室」ではなく、どこかちがう「現場(=フィールド)」が中心的になる。:たとえばフィールドワークやゲームとしてつくられる〈場〉など。「プロジェクト」によって、毎週決められた時間に決められた部屋に行く…というルーティン化される活動のリズム/スピードが変わり、どちらかというと「インフォーマル」な〈場〉としての特質が際立つ。そのとき・その場で意識できなくても、ふり返ってみると、創造的な活動として評価できることが多い(ことを願う)。

・「時間割」上で決められた「研究プロジェクト」は、おもに、メンバーが発表をおこなう〈場〉であり、同時に和む(まったりする?)〈場〉である。:「教室」の外での活動を前提として、それぞれの「プロジェクト」について知る、あるいはゲストや大学院生の活動について知識を得る。上記の「プロジェクト」とくらべると、より「フォーマル」な側面が際立つ(準備されたプレゼンテーション;プレゼンテーションのためのファシリティーの要件;全体の進行の構造化など)。同時に、メンバー全員が集う〈場〉としての愉しさや居心地のよさが求められる。


「時間割」のおかげで、メンバー全員が定期的に、フェイス・トゥ・フェイスで会うことを可能にするのが「研究プロジェクト」の時間です。じつは、「グループワーク」をしようと思って、全員がおなじ時間・場所に集まろうとすると、スケジュールの調整は難しいわけで…。定期的に会うことができれば、まずはお互いの無事を確認する…というところからはじまって、メンバーの近況について知り、ある種の連帯感や帰属意識を感じることのできる時間として、とても有意味なのだと思います。前のエントリーで書いたように、もし、「インフォーマル」な場面がより重要だという立場を取るならば、それは、より「パーソナル」な関係を深めていくことにつながるのではないかと思います。週2回の「教室」での集まりは、その「インフォーマル」な〈場〉への“アクセスポイント”のようなものですね、きっと。

これは、あくまでも「理想のスタイル」なので、現実的にはいろいろな調整をして、現在の「研究プロジェクト」の姿になっているのだと思います。そのためには、くふうも必要だし、理想ばかりではいられないのですが、そのあたりの「折り合い」をどうつけるのか。これについてはまた別のエントリーで整理してみます。

(つづく)

  • 2004-05-18 13:18:37
  • 理想のスタイル (1):インフォーマルな学び
日頃から「プロジェクト」について、いろいろなことを考えているのですが、なかなか整理をするのが難しく…。断片的になってしまうとは思いつつ、「理想のスタイル」として書いてみることにします。

まずは、つい昨日のできごとから。
今年の春から、大学院の「メディアデザイン」プログラム(MDP)の教員メンバーになりました(「ソシオセマンティクス」とかけもちです)。
[なぜ、加藤が「メディアデザイン」なんだ?と異論を唱えるかたもいるとは思いますが、まぁそういうことなんです…。]
MDPに所属する大学院生は、複数のレビューアドバイザーを決めて、学期中に「面談」をして、じぶんのアイデアをブラッシュアップする(あるいはちがった観点から考えてみる)ことになっています。かけもち教員とはいえ、4名の学生から連絡があって、昨日はその第1回目(一人目)。

結論から言うと、おもしろかった…。
ぼくがアドバイザーとして役に立ったのかどうかはともかく、おもしろかった…ということが重要なのです。学生が、みずから取り組んでいる課題について何らかの「こたえ」を求めているとすると、ぼくがその「こたえ」を(すでに)持っている可能性は低いかもしれない。でも、この「面談」のなかから「こたえ」のヒントが見つかる可能性はある。そういう認識で、学生と話をしました。(アドバイザーと呼ばれるにふさわしく)アドバイスをすることは、もちろん役割としてはきちんと認識しているつもりだけど、わずかな時間でも刺激的なコミュニケーションの〈場〉が構成されれば、それはとても愉快なことです。


なぜおもしろかった、と感じたのか。それは、学生の持っているアイデアだけではなく、わずか数十分のやりとりをつうじて、ぼくの想像力や創造力が刺激されたということなのです。正確にいうと、「インフォーマルな学び」の重要性をあらためて認識した…そのおもしろさなのかもしれません。
現在の大学で、さまざまなアクティビティを規定する「教室」「講義」「時間割」といったコンセプト・仕組みが、知識を生成すること・クリエイティブな作業をすることにとっては、とても窮屈なものだと感じます。もちろん、「教室」で学ぶことは多いし、「講義」型であったとしても、さまざまな学びの機会になることはまちがいないのでしょう。ただ、「時間割」で決められた時間に「教室」という場所に集まるというふるまいは、じつは「プロジェクト」には不向きなのではないかと思うのです。

ぼくの大学院生時代(三田に行っていたころ)をふりかえってみても、「講義」の時間が終わったあとに、近くの喫茶店(いまはもうなくなってしまったけど)で、先生といろいろな話をしたことがとてもためになった(ためになっている)と思います。コーヒーを飲みながら聞いた話、紙ナプキンに書いたメモや図。くわしくは思い出せないのですが、「インフォーマルな」時間が、いまのじぶん --- 大げさにいえば、研究者としてのアイデンティティの形成 --- にとって、少なからぬ影響をあたえていると思うのです。

いま、大学でクリエイティブな活動をしている(と思える)「プロジェクト」は、いろいろな窮屈さを解消し、「インフォーマルな」時間を活かすためのくふうをしているように見えます。
現行の「時間割」(およびその他もろもろの「大学らしさ」を規定するコンセプトや仕組み)を前提としたとき、どのような「インフォーマルな学び」の〈場〉を実現できるか…が課題です。

(つづく)

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