• 2003-06-18 23:18:31
  • ブログと「ふだん記」
5年ほど前に“メディアと「ふだん記」”というタイトルで書いた文章です。当時は、ウェブの日記について考えながら書いたのですが、ちょっと遅れながらもブログなきょうこのごろ。ここに載せておきます。(ほぼ、執筆当時のまま)

ひと頃、「自分史」というのが流行りましたが、その先駆的な試みとして、「ふだん記」(ふだんぎ)というのがありました。「庶民の文章運動」のひとつとして「ふだん記」運動をすすめた橋本義夫(1902〜1985)こそが、「自分史」のパイオニアだといえるかもしれません。「ふだん記」は、その名前が示唆するように、ふだん着で、ふだんのような気持ちで、飾らずに物を書く、というものです。「下手に書きなさい」「その土地よかれ、その人よかれ」などの題目をつねに掲げ、誰もがじぶんのことばで、じぶんについて書く、ということを積極的に呼びかけました。ガリ版刷りでわずか50部ほどの小冊子を刊行することからはじまり、この運動はやがて全国に広がっていきました。橋本がこの世を去ったいまも、各地でこの「ふだん記」が綴られ、個人の文集や自分史本は、270冊にものぼるということです。

この「ふだん記」運動が、人びとに「自己表現」の機会を提供したこと、すこし大げさにいえば、あたらしい生き甲斐をもたらしたことはまちがいないでしょう。しかしながら、橋本が説いたのは、みずからの体験や見聞を書くことの楽しさばかりではなかったのです。書くといういとなみによって、じぶんを変えることができる、つまり、書くことによって、「見えなかったものが見えるようになる」ということを、彼はくり返し主張しています。その意味で、彼は「メディア・リテラシー」を問題にしていたのではないでしょうか。書くことで「強く」なれる。文字を綴ることで、あたらしい「世界」にアクセスできる。こうした認識が、消えゆくものを「記録する」ことへの情熱的な欲求とともに、「ふだん記」運動をつき動かしていたのかもしれません。

ぼくたちが「地域」や「生活」などについて語るとき、この「ふだん記」感覚はきわめて重要です。「その土地よかれ、その人よかれ」という観点から、さまざまな〈生活記録〉を収集し、分析する。このことは、あたらしい「ふだん記」を生み出すばかりでなく、これまで残され、維持されてきた「記録」について問い直すことでもあります。たとえば、「よそ行き」に描かれた「地域」「生活」は、はたしてどのようなものだったのか。だれが、なぜ、そのように描いたのか。こうした問題意識は、「ふだん記」感覚があるからこそ際立たせることができます。

「ふだん記」は、とにかく書くこと、行動にうつすこと、が基本です。橋本は、『だれもが書ける文章』(講談社現代新書)のなかで、つぎのように書いています。

人間はすぐに上手とか下手とかいう比較をしたがる。これはまた批判家の常則でもある。ところが上手下手よりも「有るかないか」ということが決定的になる場合は、ずいぶん多い。この場合は「有る方がよい」。つまりどんなメモや短文でもよいから、「有るはなきに優る」ことが決定的になる。どんな小さな記録でも、後になって有るかないかが、大きなことになってくるのが世の常である。


文字そして書物という旧来のかたちであったとはいえ、ぼくが「ふだん記」運動について知りえたのは、それが「記録」として残されていたからです。「有るはなきに優る」。まさに、橋本自身が熱く説いていたように、「記録」は人を長生きさせるのです。

このブログは、ぼくが「ふだん記」を綴るという「宣言」です。そして、これはまた、ぼくのプロジェクトが数年、数十年と「生き続けていく」ためのひとつの「記録」となります。

■事実:「ゆとりの時間」のグループが、ようやくブログ(vanoblog)に記事を書いた。
◆気づき:みんな、忙しかったことは事実だとは思うが、やはり「きっかけ」が大事なのだとあらためて思う。
●教訓:だとすれば、その「きっかけ」づくりにじぶんはどれだけ気を配っているか、について意識的していなければならない。
★宣言:もっともっと、コミュニケーションの繊細さを探求します。

■事実:日付は変わってしまったが、昨日はと○いさんとぎ○ゅーのバースディであった。
◆気づき:そういえば、先学期の名簿には、メンバーのバースディが記載されていた。
●教訓:メンバーの個人情報をどこまで集めるのか・どこまでお互いにオープンにするかについて再度考えたほうがいい。
★宣言:とにかく、ふたりともおめでとう!

(こんなのでいいのかなー?)

■事実:日曜日のちょっと中途半端な時間に、大きめの書店に行く機会があった。
◆気づき:最近、書店に行く…ということをしていなかった。「ファシリテーション」関係の本を見ようと、ビジネス本のコーナーを見ていたら、自己啓発や図解・プレゼンテーション関係の新刊が(思っていたよりも)たくさんあった。
●教訓:Amazonで注文ばかりしているのは問題だ。
★宣言:ちゃんと時間をやりくりして、書店のなかをブラブラしよう。(したい!)

  • 2003-06-15 17:16:59
  • 4行ブログ
つい先ほど、小林惠智(2002)『1日5分 奇跡を起こす4行日記:成功者になる「未来日記」のつくり方』(オーエス出版)を立ち読みしていました。
立ち読みせずにちゃんと買ってくればよかったんだけど、以下の項目で、1日4行書くのです(それぞれ1行)。

■事実
◆気づき
●教訓
★宣言

肯定的な自己宣言を書くということで、「未来」が見えてくるのでしょうか?
ということで(ちゃんと本を読んでから…と思いつつ):

■事実:blogを設置したときほど、書いていない(最近はとくに忙しい…のも事実)。
◆気づき:書くために書くのはダメだけど、やはり、続くことには意味がある。そう思う。
●教訓:とてもシンプルなルール(例:1日200文字?)でもいいから、続けてみることが大事。そのための工夫を怠ってはいけない(とりあえずは「実験する精神」を維持することを考えてみる)。
★宣言:というわけで、「4行ブログ」のはじまり!(これはまだ誰もやっていないでしょ?)

  • 2003-06-11 07:16:33
  • 昨日の大学院の講義後に
大学院の授業のほうでも、ケータイによる調査の“ミニプロジェクト”をスタートしあました。まずは、忘れないうちにほそだくんのメール(一部をカット)を、ここに貼っておく。
(以下、すべてほそだ氏のメールより)

【大和市関連】

ネットワークコミュニティの授業ページ(大和市の小林さんの講義)
 → http://web.sfc.keio.ac.jp/~yamatotk/netcom/netcom.htm

その中でも、写真で市民の活動支援というところでは、第3回のパワポ
 → http://web.sfc.keio.ac.jp/~yamatotk/netcom/netcom3.pdf

そこで取り上げられていたシアトルのページ
 → http://www.cityofseattle.net/

シアトル関連
 → http://up.t.u-tokyo.ac.jp/northamerica/seattle2001/top.html

大和市運営のコミュニティサイト「どこでもコミュニティ」
 → http://www.city.yamato.kanagawa.jp/

  • 2003-06-10 17:30:58
  • なぜか
きのう、と●いさんに「生活感がある…」と言われましたが、どういうことなんでしょう?
きっと別のもっと「適切な」表現があったにちがいない、と思いつつ、運転するときに気が散ってしまいました。(ほとんど無意味なエントリーですが…あとでなんとかします)

  • 2003-06-02 15:42:56
  • blogとファシリテーション
「ドラフト」は数本あるのですが、「パブリッシュ」せず…あっという間に6月です。

こちらはボチボチとすすみ、ほとんど“ウィークエンド・ブログ”になりつつありますが、〈場〉のチカラのblog -- [vanoblog]のほうは、(たくさんのauthorがいるおかげで)順調に記事やコメントが続いています。

実際にblog(mt)をはじめたのは、ちょっとしたはずみのようなもので、とくにこれといった理由はないのですが、頭のどこかで考えていたのは(いるのは)、さまざまなプログラム(プロジェクト)を運営していく過程で、ウェブをはじめとするネットワーク環境はとても重要な意味をもつ、ということです。とくに、日本の大学のウェブの発信力については、もっときちんと考えていかなくては…と日ごろから感じています。たとえば、blog(mt)を使って、〈アカデミック・ウェブ〉について考えることができるのでは…と漠然と思ったのです。とにかく実験してみよう、と。


また、いまは「プログラムファシリテーター専修講座」を担当していることもあって、講座の時間外でのフォローなどに、ネットワーク環境をどのように生かしていくか…という点も具体的に考えていました。プログラムのファシリテーションのためには、カリキュラムや教材の開発と同時に、受講者のコミュニケーション・チャネルをどのようにデザインするかという問題も重要なのです。前にも掲示板(電子会議室)を設置したのですが、ほとんど動きませんでした。

講座(=つまり、フェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションが可能な状況)では、たとえばブレーンストーミング、講義、ディベートなどのように課題や活動のスタイルを変化させ、それによってさまざまなコミュニケーションの形態を体験できるようなプログラムをデザインすることができます。机やイスを並べ替えて、学習のための(物理的な)レイアウトを考えることは、その活動に「適切な」コミュニケーションのスタイルを実現する試みだと言えるでしょう。

重要なのは、講座の時間外(=つまり、多くの場合をコンピューターを介したコミュニケーションに頼らざるをえない状況)をどのように活用するか、活用できるか…という点です。ファシリテーションという観点からは、毎回毎回の講座の内容を結びつけ、それぞれの回に学んでいる事柄がどのように関係しているのかを明示し、ひとつのストーリーとして理解してもらえるような工夫が必要です。受講者がそれぞれのアイデアを発展させていくことができるような支援もふくめて、ファシリテーションを理解したほうがいいでしょう。

ファシリテーターは、少なくとも、以下の2つの意味で「記録」について考える必要があります。

(1)メディア・ファシリテーターとして:毎回の活動の「記録」は、言うまでもなく「議事録」としての意味があります。いまでは、講座などの様子をビデオに録画する場合もあるので、できるかぎり〈現場〉でおこなわれた活動や、コミュニケーションのプロセスをあとから「再生」できるように保存しておくことが求められます。そのための機材のことやデータの利用(再利用)についての知識や、場合によってはオペレーションの能力も(ある程度は)必要になるでしょう。

(2)メディアを活用したファシリテーション:(「プログラムファシリテーター専修講座」でも、また「〈場〉のチカラ」でも)blogをもちいて毎回のログをウェブに載せていますが、これは「ふりかえり」のための素材として理解できます。また、受講者からのフィードバックを整理したり、講座の内容について補足的な説明をしたり、毎回の講座と講座の〈あいだ〉をつなぐ役割を果たします。もっぱらコンピューターを介したコミュニケーションになりますが、繰り返し読むことができる・アーカイブとして整理されるということが大きな魅力だと言えるでしょう。

(つづく:とりあえず、パブリッシュ)

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