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2008年02月15日

 ミルクティー

渋谷のまちにはめずらしく、30年近く続いている店があります。ぼくが大学生の頃から、内装も、家具も、メニューも、ほとんど変わらぬままです(さすがに値段は上がっているはずですが)。学生から、「ちょっと相談したいことがある」という連絡があり、ちょうど渋谷に用事がある日だったので、その店に行って話すことにしました。じつは、10数年ぶりに訪れるというようなことでもなく、ふと立ち寄ることは何度かあったのですが、渋谷のあたりだと、急に駐車場になったり、テナントが変わっていたりすることがあります。でも、その店はいまなお健在。ガリガリと、氷を砕く音が響きます。

さて、この時期の「相談」なので、「ゼミを辞めたい」などと言い出すのではないかと、じつはドキドキしていたのですが、そんなことはなく、ごくごくマジメな「相談」でした。ついこの間、展示会が終わって、そのあとちょっとした放心状態になって、落ち着いたので、これからどうやっていくかを考えている…という話でした。「なんだ、すごくふつうの相談だったのか」と、驚くとともに、他の学生もこんなふうに考えていてくれたらいいのに…などと感じました。
正しく言うと、みんなも考えているのだと思います。そのはずです。それが、数回のメールのやりとりで、ミルクティーをはさんだおしゃべりになるのか、音信不通のまま春になるのか。ちょっとした「きっかけ」をつくるかどうかのちがいだけなのでしょう。でも、ミルクティーと音信不通は大ちがいです。

雪にはならなかったものの、外は冷たい雨が降っていたので、腰が重くて、ついつい長いあいだ、話しこんでしまいました。おかげで、来学期について考えていることも、ずいぶん整理できました。ひとに話すと、けっきょくはじぶんのアタマがすっきりするものです。暖かくなったら、折りたたみのイスでも持ってどこかに出かけて、いろいろと話をしていれば、すぐに、創造的な「場所」ができあがるはずです。ゼミというのは、そもそも、そんなものではないかと思います。
ぼくにとって、学生と話をするひとときは、アイデアの源泉なのだと、あらためて感じました。この仕事をしていてよかったな、と思わせてくれる「贅沢な時間」でした。

2007年02月11日

 おもしろい…の先にあるもの

2月9日(金)は、SXF@Aのトーク・イン「コミュニティに根ざした情報デザイン」に参加しました。プログラムとしては、17:00〜20:30という長丁場だったのですが、おもしろくて、あっという間に時間が過ぎました。魅力的な実践をしているひとがたくさんいるものだ…とあらためて感心するとともに、じぶんたちの活動をひとに聞いてもらうのは、本当に大切なことだと実感しました。後半のワークショップも愉しかったし、偶然?にも、ポッドウォークの先駆者であるKさんにも会えたし…。とても刺激的な晩でした。

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※クリックすると拡大されます。

セッションでは、2004年の秋に柴又ではじまった一連の調査の流れを、「リサーチ・キャラバン(旅する調査団)」と「ちいさなメディア(はなしの種)」ということばで整理してみました(図:当日つかったスライドから)。「フィールドワーク」という方法は、地域/コミュニティを知るだけではなく、結局のところ、ひととの関係性をはぐくむというコミュニケーションの問題として理解されることが重要です。そして、じぶんを取りまく環境が、(いろいろな意味で)「不完全」だという認識が、旅への欲求になり、ひとに会うための動機づけになるのです。
あたらしい地域を訪れながら、じぶんの経験として語れる地域/コミュニティを増やすこと(=拡げてゆくこと)と、地域/コミュニティで見たこと・感じたことを何らかのかたちで記録し、その記録を流通可能なかたちにしながら、地域に暮らすひとびととの関係性をはぐくむこと(=深めてゆくこと)を、バランスよくすすめることが大きな課題となります。幸いなことに、ひとを介して、「キャラバン」は続いていきそうに思えるし、フィールドワークのたびにつくるポストカードは、種類も数も増えてきて、ようやく本格的にその使い方を考えるフェーズに入りました。まだまだ、これから…。

「キャラバン」はおもしろい。よそ者の視点は重要だ。ポストカードのように手触り感のあるメディアは捨てがたい。…問題は、その先です。たとえば、ぼくたちの柴又での活動が、まちを変えたのか。ひとびとに響くものがあったのか。そのあたりは、いつも考えさせられます。ぼくたちが「設計図」を描いているのであれば、コンペに勝つとか、あるいは目に見えるかたちでまちが変わるとか、「成果」はわかりやすい評価が可能です。もし仮に、ひとびとの意識やものの見方に何らかの影響をあたえたとしても、それをとらえることは容易ではありません。言うまでもなく、〈刺激=反応〉という図式で考える性質のものではないからです。

「おもしろいね…」という素朴な反応はあっても、それが、まちにとって、地域/コミュニティにとって、意味や必要があるのかという問いには、どうしてもナイーブなこたえになりがちです。フロアには、ぼくたちが調査をはじめたのと、ほぼ時期を同じくして、柴又のプランニングに関わったTさんがいました。コメントをいただき、さらに話をしているうちに、ぼくたちの「キャラバン」が、多少は柴又のひとびとに影響をあたえているのではないか…ということが、少し具体的にわかりました。厳密な意味での因果関係などはわからないのですが、学生たちの撮った写真、綴った文章が、何かに気づくヒントになっているようです。とにかく、同じ現場に関わったひとの口から、そういう話を聞くことができたのがよかった…。ぼくたちの活動は、即効薬ではなく、ちょっとした健康法のようなものなのかもしれません。続けていると、じわじわと効いてきて、少しだけ身体が軽くなるような…。

後半、ワークショップの際にご一緒した、Yさんのセンスや実践にも頭が下がります。やはり、冊子でもポストカードでも、ていねいに実践の記録として残してゆくことが大切なのだとあらためて思いました。旅をする理由にも、おみやげにもなります。実現の方法は多彩ですが、おなじ方向を向いているひとが、ほかにもたくさんいることが確認できて、勇気づけられました。おもしろい…の先は、きちんと考えなければならないのですが、おもしろい…それ自体を継続させることにも、それなりの創意工夫が求められますね。
(いやぁ、愉しかったので、ついついたくさん書いてしまいました。)

2006年06月14日

 ビルの谷間

ちょうど1週間ほど前のこと。高校時代からの友だちふたりと、ひさしぶりに会いました。はじめて行った店だったのですが、カウンター席に座ると、目の前にはたくさんボトルが並んでいて、横長の窓の外には、夜景が見えます。何かと「お騒がせ」な高層ビルが正面に、そしてちょっと右に目をやると、「ミッドタウン」のビルが見えます。6階にある店の窓から、前を遮られることなく眺める六本木は、ちょっと新鮮でした。

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【2006年6月8日(木):麻布十番】

ぼくが店に着いたのが遅かったので、ほどなく午前零時を過ぎました。それでも、目の前の大きなビルの電気は消えることがありませんでした。まるで、某キャンパスのようです。闇を照らす技術や道具のおかげで、ぼくたちは陽が沈んだあとの時間を使うことができるようになりました(仕事をするか、バーで飲むかは大きなちがいですが)。

ヴェルベデールなどというウォッカを飲みながら、ふとエレベーターのことを考えました。最近、恐ろしい事故があったばかりです。そう、人やモノを上下させる仕組みによって、ぼくたちは高層階での暮らしを獲得したのです。目の前に見えるビルは、高さが200メートル以上はあるはずです。
あとで調べてみたら、あのオーチスが、ニューヨークのクリスタルパレスで落下防止装置のお披露目をしたのが1854年。日本はまだ江戸時代。それから150年のあいだに、エレベーターが都市の風景を変えてきたのです。建築の技術や工法はもちろんのこと、オフィスや住居として、ぼくたちが上に向かうためにはエレベーターが不可欠です。あたりまえになりすぎて、ふだんは考えたりしないのですが…。

高層階から東京の美しい夜景を見下ろすという体験は、エレベーターがなければ実現しなかったということになります。そしてまた、地上200メートルのオフィスの灯を見上げながら飲むのも、エレベーターがあってこそなのです。「お騒がせ」なビルも、すでに3年。ひとつのランドマークになったことは間違いないようです。

2006年04月11日

 ていねいな仕事

ドナルド・フェイゲンが、13年ぶりに新譜『モーフ・ザ・キャット』を出したので、すぐに買いました。
映画『かもめ食堂』を観て、とてもいい気分になりました。

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【2006年3月28日:デザートの時間@フリコトー

それから、(順序は前後しますが)藤田修平研究室の「卒業生作品上映会」(3月26日@neoneo坐)に出かけて、『天草の静かな旅』(監督・撮影・編集:森内貞雄)と『還暦野球』(監督・撮影・編集:金森誠/プロデューサー・スチル・録音:山本大輔)を観ました。会場で配られた用紙に、「感想はブログに載せます」などと書き残したままでした。遅くなりました。

ていねいです。近道のない仕事を、きちんとすすめた結果だと思います。ぼくは、そこに感動しました。それに尽きます。飽きっぽくて、さらにラクなやり方を好む学生が多い中(まぁ大学のほうがスピード感を要求していることも認めますが)、そしてもちろんいろいろなことはあったと思いますが、とてもよい仕事をしたことに敬意を表します。
作品は30分で流れますが、実際に取材をした時間(今回の場合は1年とか2年とか?)と、さらにひとびとの背後にある時間にも向き合う。それをどうやって30分に凝縮するかを考えながら、すべてを捨ててしまいたくなったりもするはずです。これは、まさにフィールドワークとおなじです。そして、編集のセンスとかカメラワークの問題ではなく、ひとにどう近づくか、そして、そのひととの関係をどうつくってゆくかということを学んでいるのだと思いました。当日、わけのわからない質問をしてしまいましたが、何か特別な工夫をしなくても、きちんとした目線があれば、ドキュメンタリーの“マインド”を伝えることができるのかもしれませんね。

25年ほどかけて、ようやく3部作を完成させるというのはスゴイです。ドナルド・フェイゲンは、いつでもドナルド・フェイゲンです。聞けばすぐにわかります。
『かもめ食堂』の中で、サチエ(小林聡美)は言います。「人はみんな変わっていくものですから」と。
本当は、「人はみんな変わらないものですから」と言いたかったのかもしれません。
ぼくは、いつまでたっても、あれこれと音楽とか映画の話をしながら、デザートを食べているはずです。

2006年04月02日

 スライドショー

もう、あれから10日以上も経ってしまいました。少しばかり時間を巻きもどして…。
3月20日(月)は、卒業生の送別会、いわゆる「追いコン」が開かれました。これまでの活動をふり返るスライドショーと、(後輩から卒業生への)手紙のプレゼント(朗読付き)。素朴ながら、スライドショーって、泣けてきますね。昔の写真から、順番に、“いま”に向かって写真が流れます。笑っちゃう写真もたくさん出てくるのに、“いま”に近づくにつれて、ちょっと悲しくなります。

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【2006年3月20日:PEACE Cafe(山下町)にて】

学部を卒業するとき、ゼミの先生から文庫本をいただきました。先生が、ゼミ生ひとりひとりに順番に本を渡していく、ちょっとした“儀式”のような時間がとても好きでした。当時、ぼくは、『広野から』(川田順造)を手渡されたのですが、いまさらながら、先生がぼくの興味のありかも、行方も、きちんと見ていたことに感動します。もちろん、先生にはあれからずっとお世話になっています。師には遠くおよびませんが、その“儀式”は形だけでも受け継いで、卒業生には、毎年、本を贈ることにしています。

19日の晩、ぼくは本屋に出かけました。
卒業生の顔を、ひとりひとり思い浮かべながら、本をえらびます。贈る本が「当たり」なのか「はずれ」なのかはわかりませんが、少なくとも、じぶんなりに納得できる本が見つかるまで書架の前を行き来します。他愛のない会話も、研究室の光景も、フィールドワークの疲れも、いろいろな出来事がよみがえります。そう、本屋をウロウロしているうちに、不意にスライドショーがはじまってしまい、やるせない気持ちになるのです。

どんなに忙しくなっても、「追いコン」の季節には、本を買うためだけに出かけたいと思います。それを毎年くり返すことが、仕事なのです。そして、本屋での愉しくて哀しいひとときは、もしかすると、ぼくだけが独占できる、とても大切な時間なのかもしれない…などと思ったりします。

傍らでは、まだ写真が流れていたような記憶があるのですが、ひとりひとりに本を手渡すという“儀式”のおかげで、スライドショーが終わったのかどうか、“いま”に時間が戻ったのかどうか、わかりませんでした。

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2006年01月19日

 まだ

花束をもらいました。きょうは、今学期最後の授業だったのです。
でも、じつは学期の「終わり」は、年度末に向けて、期末試験、入試、報告書の作成、会計報告や確定申告などなど…事務的な仕事の「始まり」です。そんなわけで、ふだんは学期の「終わり」というのは、さほど意識することがありません。実際に、修士の学生が最終試験にパスしたら、4年生を中心に企画されている展示(卒業制作展)が無事に終わったら、そして例の20000字レポートがきちんと提出されたら、みんなにご苦労さまと声をかけて、祝福するつもりです。

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4年生が、“最後の授業”だということを感慨ぶかく話していたのを耳にして、不覚にも感傷的になってしまったのですが、どうしても「終わり」という感覚がなくて、あまり気の利いた話をすることができませんでした。方法もチャンスもいろいろあるので、ぼくからのメッセージは、じわじわと伝えていこうと思います。
まだ“最後”じゃないから。

2006年01月04日

 つかの間

三が日くらいは、お酒を飲んで、おせちとお雑煮を食べて、テレビを見ながらごろごろする…のが正しい!お笑い系もいいのですが、やはり『田舎に泊まろう!』(テレビ東京)です。じつは、ぼくはこの番組が大好きで、ついつい見てしまうのです。

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【2006年1月3日:世田谷観音

元旦に放映されたエピソードは、どれもなかなかよかったのですが、とくに印象的だったのは、最後の旅。野村真美が、2年ぶりに鹿児島の甑島(こしきじま)を訪れ、92歳のおばあちゃんと再会します。彼女がふたたびやって来ることを聞きつけたひとびとが集まってきて、一緒にお寿司をつくったり、三味線を奏でて、唄ったり踊ったり。そして、布団を敷いて眠ります。
翌日、別れの時が来ます。この番組を見たことのあるひとなら、もう“お馴染み”のシーンなのですが、それでも、泣けてきます。番組の最後で森光子がコメントしていましたが、泣くつもりがなくても、なぜか涙が出てきてしまう。
 「ほんとうに、つかの間でしたねぇ」
とおばあちゃんは言います。「つかの間」ということばが、あまりにも自然に出てきて、しかもその場を語るのに一番ふさわしく感じられました。そのせいかどうかわかりませんが、野村さんは、船に乗り遅れてしまいます。ふだん一緒にいる、身近なひととの別れではなく、一宿一飯というほんとうに短い時間を共にしたひととの別れだからこそ、沁みるのでしょうか。「つかの間」の儚さが、涙をよぶのでしょうか。

考えてみると、昨年は、ちょっとしたきっかけや、偶然の出会いから、いろいろなひととのつながりが生まれました。まずは「つかの間」を大切にすること。そして、「ちょっとした/偶然」を、丁寧に育てること。それを忘れないようにしながら、今年も、五感を駆使してまちを歩きます。「つかの間」をたくさん集めてみたいと思います。

2005年12月03日

 雪の日

アメリカに留学していた頃のクラスメイトから、突然、メールが届きました。おそらく、10年ぶりくらいです。いまは、オーストラリアの大学で教えているそうです。当時は、一緒に“宿題”をやったりしていたわけですが、いまではお互いに教える立場になりました。ちょうど、部屋を片づけていたら、大雪が降った日の翌日に撮った写真が出てきて、あの頃を懐かしく思っていたところでした。

ふと、「異文化コミュニケーション」の授業のことを思い出しました。あるとき、「異文化コミュニケーションにとって重要なのはなにか?」と教授が質問しました。少人数の大学院のクラスなので、正解を問うというよりは、ディスカッションのきっかけとして投げかけたのです。「言語能力」「多様性を受け入れる許容度」「ものごとを相対化して理解すること」「情報処理能力」「適応力」などなど、いろいろな“こたえ”が出されました。たしかにそうだな…と思っていたところ、先生はニコニコしながら「チャームだ」と言いました。クラスのみんなが挙げていた“こたえ”にくらべると、とてもあいまいで、なんだか拍子抜けしました。でも同時に、「チャーム」ということばが出たことで、安心した気分になったのをよく覚えています。コミュニケーションを(専門的に)調査・研究しようというぼくたちにとって、「チャーム」というのはあまりにも漠然としていて、でも、それでいて、頷くしかないような“こたえ”でした。たしかに「チャーム」があれば、ことばの壁などすんなりと越えられるように思います。そう、そこに〈居る〉だけでいいのです。

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【1993年3月15日:アメリカで】

日曜日の朝は、必ずと言っていいほど観ていた『兼高かおる・世界の旅』(※おそらくある年代以上のひとしかわからないと思います…)が頭に浮かびます。彼女のように、気取らず、優しく、大らかで、強い…そんな「チャーム」があれば、ことばはもはや必要ないのかもしれません。コミュニケーションを研究すること自体も、あの朗らかな笑いのなかに消えてしまいそうです。

アメリカ東海岸のちいさな町に降る雪は、とてもサラサラとしていました。大雪でクルマが埋まってしまうと、20分ほどの道のりを、キャンパスまで歩きました。寝ているあいだに雪が降って、朝になって外を眺めたときに真っ白な世界が拡がっていると、ワクワクします。だれかが踏みしめたところを歩くのは、それはそれで面白いし(足の大きさとか歩幅をくらべたりして)、安心して踏み出すことができます。でもぼくは、やっぱり、まだ足あとのない、まぶしく光る地面を踏みながら歩くのが好きです。

(いよいよ2週間後にせまった金沢での調査。雪が降ればいいな…などと考えたりして。あ、でも調査中に降られると大変なことになるので、朝起きたらうっすら積もっている、という感じで。)

2005年09月13日

 キャパ

キャパといっても、『ちょっとピンぼけ』のキャパではありません。
“もう限界っ!”のキャパ(capacity)の話です。いよいよ会期も残すところ数週間になったので、やはり行かねば…と愛知万博に出かけてきました。ふり返ると、幼いころ出かけた大阪万博からすでに35年。過ぎ去った年月をかみしめつつ、名古屋へ。
結果としては、一日の入場者数の記録更新(9月5日現在)に貢献することとなりました。なんと、記録によると、その日は最高気温35.1℃、そして入場者は249,873人。炎天下で列に並ぶのは苦行でしたが、会場ではたらく人びとは、さらに厳しかったはずです。結局、日本企業のパビリオンもマンモスも見ることができず、各国の展示を巡るかたちになりました。

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【2005年9月3日:パビリオンのなかは涼しくて、キレイ。】

そして、その夜は名古屋らしく…と、ベタに、手羽先とか味噌カツとかきしめんとか、そういうメニューの店に入りましたが、その店もキャパを越えているようでした。アルバイトがたまたま休んだのかもしれませんが、単純に考えて、一時的に名古屋に滞留している人がふだんよりもはるかに多いわけで、席につくのに、“2分待って”と告げられて15分近く待ち、頼んだ料理はなかなか運ばれてこない…。フル稼働していても、ふだん以上のタスクだから、対応できないことになります。

愛知万博も、そして手羽先と味噌カツの店も、スケールはちがうものの、想像できないほどの忙しさと喧騒につつまれ、キャパを越える日々が流れています。その先にあるものは何か…。筋肉とおなじで、「少しきつい」状況は成長の源泉です。みずからに負荷をかけることで、強くなることができます。“未来”が見えてきます。考えてみれば、新幹線も首都高速も、「少し(というより、かなり)きつい」状況にみずからを追い込んだ結果として、生まれました。そのおかげで、高度成長が実現しました。“未来”への強い気持ちがキャパを拡げてゆくのです。

各国のパビリオンを回っていて、どの国も“多様性(diversity)”の問題とまっすぐに向き合っていることが印象的でした。この大切な問題を、ぼくたちはどこまで現実的に考えているのか。会場もふくめ、日本の展示(ちゃんと見ていないけど)は、テクノロジーと地球環境への志向は感じられるものの、(人びとの)多様性に対する問題意識がまだまだ希薄な感じがしました。愛知万博の経験をつうじて、名古屋が、そして日本が何を学ぶのか。どこまでキャパを拡げることができるのか。太陽の塔を眺め、月の石におどろき、ロボット館を見た、あのころのトキメキはありませんでしたが、やはり万博は愉しく刺激的で、いろいろなことを考えさせられました。

2005年06月17日

 黄色い太陽

梅雨入りしました。昨日はずっと降っていましたね。
大人になると(というより、歳をとると)、“子供らしさ”を求めたりします。『ビッグ』(トム・ハンクスのやつね)で描かれたように、子供にはのびのびと自由な発想がある。たしかにそうだな…と思いつつ、子供の日生まれの代表(※注:もはや、いまでは腰痛に悩まされるオジサンです)として、子供の言い分です。そう、子供は子供で、意外と窮屈だったのかもしれない…などと思うのです。小学生のころの話なので、記憶はあやふやで、おそらく誇張されているとは思うのですが、腰に手を当てて、ビンに入った牛乳をクイッと飲んでしまいそうな、そんなKさんのことを思い出しました。

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ぼくは昔から、絵を描くのはきらいではありませんでした。小学生のころの絵も、探せばたぶん何枚か出てくると思います。画伯(※注:現在4年生のか●ちゃん)ほど上手ではなかったのですが、とにかく描くのは好きでした。不思議なことにクラスで「絵を習った」という記憶はありません…にもかかわらず、クラスのみんなが、空は「青」、太陽は「赤」、そして人の顔は「肌色」といった具合に、まるで、あらかじめ決められているかのように絵を描いていたことを覚えています。パレットというものがありながら、絵の具を混ぜることはあまりせずに、チューブから出てきた色をそのまま使うような感じです。そう、のびのびと自由な発想ではなく、極端に言えば、「お決まり」の絵が同時にたくさん描かれていたわけです。
もしかすると、ぼくの小学生時代というのは、ちょうど“豊かさ”が生活の身近なところに目に見えるかたちで現れていたころで、混ぜる必要がないくらい、何色もの絵の具が箱に入っていたのかもしれません(何色あったのか覚えていないのですが)。

そんな中で、Kさんの絵だけはちがっていました。一番強烈に覚えているのは、黄色い太陽です。さらに、人の顔も「肌色」(たしかにあの「肌色」というのはヘンですね)ではなく「黄土色」とか「茶色」のような感じでした。そのことを、なぜか鮮明に覚えています。どことなく、ぼくたちの描く絵が(子供ながらに)子供っぽく見えて、Kさんの絵は、(適切なことばが見つかりませんが)“外国っぽい”感じがしました。おそらく、Kさんには、ぼくたちには見えないものが見えたのだと思います。そう、もちろん真っ赤な太陽もあるけれど、黄色い太陽もあるのです。子供の世界では(大人の世界でもそうですが)、ひととちがうということが、場合によっては歓迎されなかったり、じぶんを孤立させてしまったりすることも、Kさんはすでに知っていたのかもしれません。ぼくは、なんとなく黄色い太陽や“外国っぽい”絵のほうがかっこいいな、と思っていながらも、じぶんが赤い絵の具をつかっていることが、少し恥ずかしいような気分になりました。

さて今ごろKさんは、夜ごとにネットワークを徘徊し、腰痛に悩まされているかもしれません。梅雨の晴れ間には、じっくりと太陽を見上げてみたいと思います。暗くてジメジメした日が続いた分だけ、太陽はまぶしく見えるはずです。確実に夏に近づいていることを感じさせてくれます。そして、きっとそれは、黄色い太陽なのです。

2005年06月03日

 ビッグマンで待ち合わせ

ひさしぶりに関西に行ってきました。つい数年前まで暮らしていたことさえ忘れてしまいそうなほど、忙しい毎日なのですが、新幹線の窓を流れる景色で、とたんに記憶がよみがえります。京都に近づくと、ほんの一瞬、キャンパスへと続く道が見えます。高架と直交するその坂道を、ふだんはクルマで通っていたのですが、きょうは上を通過です。その懐かしい風景はすぐに消えてしまい、やがて山科のトンネルを抜けます。
大阪での仕事のあと、R大のころのゼミ生と食事をしました。きょうは(というより、きょうも?)東京に戻る電車の時間を気にしながらの数時間でしたが、ひさしぶりに会って、愉しく過ごしました。卒業して、もう3年目?まだ3年目?…時間は早く過ぎているようでもあり、じつはゆっくりなのかもしれないなどと考えつつ、淀川の向こうに陽が沈むのが見えて、ビールと酎ハイというところでお開きになりました。

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職場が変わる。450キロも遠くに行く。大きな変化があったということ、とても忙しかったということは、正当な言い訳になるのかもしれませんが、やはり、あの時期は、多くのひとに迷惑をかけてしまいました(いまさら、こんなことを書くのもヘンですね)。結局のところは、西でも東でも、中途半端な仕事しかできず、不本意なじぶんに嫌悪感のようなものを抱きながら、時間が過ぎました。あの2年間は、書きかけのまま出せずにいる手紙の返事のように、あの頃からずっと心の片隅に残っているのです。「あの頃のぼくは、本当のぼくではない」などと言って、お詫びをして、償うという性質のことではないし、そもそもそんなことは不可能です。いずれは笑ってふり返ることができるだろう、と思ったりもします(きっと、そうです)。それよりも、これからどうするか、を考えることが大切なのでしょう。

たとえば若貴が、また笑いながら握手をしてくれるかどうか…それについては時間に任せるしかないのかもしれません。でも、時間が経つのを待つだけではなく、時間をつくってゆくこともできる。そう思います。べつに、何か思いつめているわけではないのです。重大な決断をしたわけでもありません。ほろ酔い気分も手伝って、きょうはなんだかいい一日だったなぁ、と余韻に浸っているのです。笑い声も“オバちゃんトーク”も「がんばれジーコ・ジャパン」も「最近、松坂世代スゴイ」の話も、他愛のないことのようでいて、確実にぼくの深いところに届きます。うむ。きょうは愉しかった。
ぼくがあの2年間を背負っていることなどとは無関係に、車窓の風景は流れます。電子メールではなく、ハガキのスピードで、これからの時間をつくりたいと思います。ありがとう。

2005年03月22日

 卒業

卒業シーズンです。雨が降るたびに、暖かくなっていくように感じます。
いつも(といってもここ2年ほどです)、卒業生には色紙を贈ってきましたが、今年はハガキにしました。昨年の秋から、絵手紙を書いたり、フィールドワークの成果をポストカードにしたり、ふだん授業で配る資料などもできるだけポストカードサイズでつくったり…。いろいろな場面で、ハガキが大切な役割を果たしてきました。
そして、今年の“追いコン”の準備をすすめていた学生から、卒業生に宛ててハガキを書く、という企画について連絡をもらいました。2、3年生のみんなが、それぞれ4年生に宛ててハガキを書いて、“追いコン”の当日に投函しておく。すると、(計画では)翌朝、みんなからのハガキが届けられる…という段取りです。素朴に考えて、10数名からお祝いのハガキが届くというのは、ウレシイはずです。

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今年は、例年よりもちょっと人数が少なくて、4年生は6名。まだ早いのですが、桜の木を描いてみました。実際に、満開の桜の木の下で描いているわけではないので、想像しながら…のいい加減な絵手紙ですが、まぁ大切なのは季節感です。
ところで、この企画、他のみんながどのようなハガキを送ったのか、とても気になります。みんなの前でプレゼントを開けるとき、もらったひとの喜ぶ顔を見るのも愉しいのですが、じつは、何をプレゼントされたかがわかる、という意味もあるんですね。今回のハガキの場合、4年生の家には続々とみんなからのハガキが届いているはずなのですが、それを見ることができないというのは、けっこう残念な気分になります。

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さて、もしかすると永遠に気づいてもらえないかもしれないので、ここで種明かしをしておきます。4年生に贈った6枚のハガキ。横に並べると、1枚の絵になるんです(上の写真では、2枚を横に並べてあります)。卒業してべつべつの道を歩み、バラバラになってしまった6人が、ふたたびハガキを持って集う…などという機会があるのか、ないのか(たぶんないと思うけど)、いずれにせよ、「つながるハガキ」なのであります!
まるで『里見八犬伝』(ぼくと同世代のひとなら、NHKでやっていた人形劇を思い出すでしょ?)のように、6枚のハガキが惹き合い、いつの日か一箇所に集まって、一枚の絵になったりしたら感動的ですね。(『里見…』がピンと来ないひと、要するに「合体ロボ」みたいなもんです。ちょっとちがうか。)

ご卒業、おめでとうございます。

2005年01月02日

 書初め

昨年の秋、師匠が引越しをしました。30数年間暮らしたという一戸建てから、初めてのマンション生活です。やはり、「捨てる」ことはかなり難しかったようです。30数年間で、家の中に増えてゆくモノがどのくらいあるのか、引越しの大変さは容易に想像できます。とりわけ、大学で教えることを生業としていると、本が増えます。家に持ち帰るのは数冊ずつでも、それが毎日の生活なのですから、相当な分量になるはずです。それでも、引越しにあたって、本もふくめてかなり多くのモノを処分したとのことです。

ぼく自身は、あらためて数えてみると、生まれてからこれまで13回くらいは引越しをしてきました。引越しのたびにいろいろなモノを捨て、でもあたらしい場所でまたモノが増えて…という繰り返しです。いざ「捨てる」となると、また必要になるかもしれない…とか、これは思い出ぶかいモノだから…とか、いろいろな理屈をつけてはあたらしい段ボール箱が増えてしまうのが実情です。引越しが多いと、じぶんにとって本当に必要なモノがわかるので、よりシンプルな生活スタイルになる、などと言うひともいますが、ぼくにはムリのようです。むしろ、引越しのたびに一緒に移動しているモノたちには、より愛着がわいているようにさえ感じます。

書斎には、いずれ手をつけようと思って、まとめられている本や資料もあります。つまりそれは、これからの活動のための“まとまり”です。話によると、引越しの際には、こうした“まとまり”もいくつか処分したそうです。物理的なスペースがかぎられているとはいえ、これには少々驚きました。なぜならば、それは「未来を捨てる」ことだからです。ぼくの書斎にも未来のための“まとまり”(=これから読まなければならない本・読みたい本の束です)がいくつかありますが、それを捨てるなどということは、いまはできません。かなりの勇気(と達観)を必要とする決断です。年を重ねてこそ、また大きなしごとを成し遂げてこそ可能になるようにも思えます。

おそらく、(モノとしての)過去を、あるいは未来を捨てたとしても、それが失われることにはならないのでしょう。「失う」のではなく「書き換えられる」ということなのかもしれませんね。モノを捨てて、過去や未来を「書き換える」ことによってのみ実感できる現在(いま)がある…。そんなことを考えつつ、無事に新年を迎えました。早々に、部屋を片づけてみます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2004年12月18日

 あれから

あれから、ずいぶん時間がたちました。大学生のころに一度訪れた記憶があるのですが、もしそれが思い込みだったとしたら、じつに25年近くが過ぎ去ったということになります。池袋から志木への道のりは、当時よりもはるかに短く感じました。当然のことながら、駅前はすっかり変わっていました(スタバもあった!)。でも、歩いているうちに、およそ四半世紀前に、ごく自然に戻ってしまいました。大きなマンションはそのままだし、その脇にある毎日歩いていた細い道も、そのまま。ゆるやかなスロープと、その脇にある柿の木。たくさん実をつけていました。あのころから、変わらない“シキガキ”(=志木餓鬼)なのです。

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【左:しき / 中:この道も、/ 右:この風景もあのころのままです】

生徒たちは、ぼくの話をあまりちゃんと聞いていなかったのかもしれません。朝は早かったし、ちょっと暗めのホールのイスは眠気を誘います。しかも、難しい話はしない…などと言いながら、高校生にはピンと来ない内容だったのかもしれません。でも、それでもいい…と思います。すぐにわかることばかりではなく、ゆっくりと時間をかけてこそ理解されることがらが、たくさんあるからです(まさに、それが話のテーマだったのですが)。そして、そのことに気づくのにも時間がかかるわけで。

ふだんの授業とはちがう、不思議な感覚で1時間ほど講演しました(※)。大学で、授業中の私語には慣れているはずなのに、なぜか高校生の私語はすごく気になりました。でもそれは、彼らのおしゃべりではなく、あのころのぼくにイライラした…のかもしれません。ぼくも、高校生のときは、講演者の話も聞かずに友だちとおしゃべりをしていたはずです。ひとりの志木ガキだったのですから。25年ぶりに訪れた場所で、高校生のじぶんに会ったようで、ちょっと感傷的になりつつ、東上線に揺られました(車両は当時からは考えられないほど“近代的”です)。
母校に講演に行く…という単純な話ではなく、とても不思議な気分になって、どういうわけかぐったりと疲れてしまった一日でした。あのような話で、きちんと役割を果たせたのかどうか自信はないのですが、それよりも、あのころのガキと、いまのガキたちとの出会いが実現したことに感謝したいと思います。ありがとうございました。

※2005年12月17日(金)「志木演説会」(志木市民会館ホールにて)

2004年09月17日

 窓を開けて。

ミュンヘンで泊まったホテルで考えたこと。ドイツは“エコ大国”などと言われますが、たしかにそうだな…と思いました(実際には、そう思って見るから、すべてがそのように整理されていくということなのかもしれませんが)。バスは、アイドリングしない(そのおかげでクーラーが止まって車内が暑くなるけど、そんなことに文句は言わない)。バスタオルは、数日泊まるんだったら、毎日取り替えない(最近では日本のホテルでも書いてありますね)。まちを流しているタクシーがいないのは、ガソリンの節約につながっているはずです(でも、タクシー乗り場に行ってもタクシーがいなかったぁ…)。そして、駅などには、分別用につくられた立派なゴミ箱がありました。こういうことを、みんながきちんと、マジメに(マジメすぎるほどに)受け入れている感じがしました。

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さて、話は変わって…。滞在2日目の朝、カラになったペットボトルをホテルの机の上に置いて出かけました(ぼくとしてはゴミだから処分してください…というつもり)。その晩、部屋に戻るとペットボトルはそのまま置かれていました。ふむ、なるほど。そして翌朝、ちょっとした実験ゴゴロで、1本のペットボトル(中身はカラ)を机の上に、そして前日のもう一本をゴミ箱に入れて外出。戻ると、机の上のペットボトルはそのままで、ゴミ箱はきれいに片づいていました。あたりまえというか、予想どおりの展開です。これは、“エコ”というよりは、宿泊客の持ち物をどう扱うか…という問題です。ゴミのように見えても、もしかすると、そうじゃないかもしれない。勝手に判断して机の上のカラのペットボトルを捨てて、問題にでもなると困ったことになります。(いろいろ考えずに)とにかく毎朝ゴミ箱をカラにしておけば良いのです。いらないんだったら、ゴミ箱に入れてね…ということです。

そこで、あらためて考えてしまいました。ゴミはいったいいつからゴミになるのか…と。ティーポットに入っているお茶の葉は、たとえ出涸らしでも、ゴミではなくお茶っ葉です。ところが、なんということでしょう(「大改造!! 劇的ビフォーアフター」ふうに)。それがティーポットから出されたとたんに、“生ゴミ”になるのです。〈居場所〉が変わるだけで…。腐ったり変色したり、そういうモノの場合はともかく、いつ・どこで見るかによって、ゴミになったり、そうじゃなかったり。

まぁそんなことを考えつつ、暑いけど部屋にエアコンがついてないので窓を開け、酔って騒いでいるひとびとの声を遠くに聞きながら…。中央駅のそばのホテルの部屋。

2004年08月24日

 15年前の、さらに5年前。

『未来を創る大学』(慶應義塾大学出版会)が出版されました。[2004年8月20日発行:ISBN4-7664-1097-1]
このキャンパスは今年の春で開設15年。でも、当然のことながら、その前から設立準備がすすんでいたのです。同書によると、「新学部検討委員会」が発足したのは1986年。ちょうどぼくが三田で大学院に通っていた頃です。

いまでも思い出すことがあります。タバコのおつかいだったのか、書類のコピーを頼まれたのか、くわしいことは覚えていないのですが、ある日、研究室棟(“新研”)の1階にある会議室に入ったことがあります。当時は、会議室の並びに学部長室が並んでいて(いまもそうだと思います)、なんとなく近寄りがたいようなエリアだったのですが。会議室には、数名の先生がいて、なかには(ぼくの師匠をふくめ)知っている先生も何名かいました。いま思うと、それが「新学部検討委員会」のメンバーによる、インフォーマルな集まりだったようです。「これはと思う、保守的でない人々」(同書 p. 9)ばかりが、会議室にいたわけです。

何が話題だったのか、何のために集まっているのか、その時はよくわからなかったのですが、とにかく、先生がたが楽しそうだったことを記憶しています。楽しそう、などと言うと不遜な気もしますが、とにかくその印象が強かったのです。所属(学部)がちがうことは見てすぐわかったし、会議室でありながら、のびやかな空気がありました。あの楽しそうな会議で生まれたアイデアが、磨かれ、その後の長い道のりを経て、実際にカタチになったのです。15年前の、さらに5年前から「いま」を見ていたのです。キャンパスの歴史をふりかえって、“昔はよかった”という感傷にひたっているヒマはないのですが、あの楽しそうな空気は忘れないようにしたいと思います。知が立ち上がり、実体をともなうカタチで目の前に現れてゆくプロセスは、楽しいはずなのです。

2004年08月11日

 春学期をふりカエル(1):フィールドワーク法

「フィールドワーク法」は、今学期から開講しました。これまでの「社会調査法B」の内容とほぼおなじですが、カリキュラム上は「ナレッジスキル科目」という位置づけになりました。また、過去3年間は1時限目に開講していたのを2時限目にしたせいか、履修希望者が急増し、選考をおこないました。フィールドワークの演習をともなうため、人数制限はやむをえない状況で、今学期は履修者数65名でスタートしました。
内容・構成は、ここ数年でだいぶ整理されてきました。カメラ付きケータイをつかった調査については、2002年から実験的にすすめてきたのですが、やはり(カメラ付きケータイの)所有率は年々上がって来ています。今期については、大部分持っていたように思います。

授業へのコメントをふまえて、今学期のポイントと来年度以降の課題についてまとめておきます。
(1)授業内でのグループワーク:一度、授業時間中にその場でグループをつくって、データの分類について簡単なワークショップをおこないました。今回が初の試みでしたが、これが面白かったという意見が(意外に)多かったので、似たようなタイプのワークショップは続けてみてもいいかもしれません。また、授業時間中に、たとえばキャンパス内で簡単な演習をしてもいいのでは…といった提案もありました。これについては実現可能だと思うので考えてみます。
(2)“ミニ課題”:学期を通じて、“ミニ課題”を出しましたが、これについても肯定的なコメントが多かったようです。もう少し講評を充実させたり、また、ぼく自身も写真を撮って紹介したり、運営や評価のスタイルはさらに工夫できそうです。
(3)報告のフォーマット:履修人数が多いため、中間のプレゼンテーションではじゅうぶんな時間を取ることができませんでした。また、最終報告のフォーマットについては、昨年度の「社会調査法B」に引き続き、パネルによる“展示”のスタイルにしました。事前に配布していたシラバスではプレゼンテーションと記載していたので、その点については早めにフォーマットを決めて明示しておいた方がよかったと思います。ただ、パネルによる“展示”のスタイルは、一連のプロセスをコンパクトに凝縮してまとめるトレーニングになるとともに、他の履修者のフィールドワークの過程をわかりやすくするための方法として考えています。

最後に、授業内容について〈具体性がない・何が重要なのかわからない〉というコメントがありました。抽象的な概念を、フィールド(現場)でどのように具体的に(身体的に)理解するか…がまさにこの授業のポイントなのです。それは容易ではないのですが、フィールドワークに関わる抽象的な概念については、できるかぎり具体的に理解してもらえるように、映像の素材や事例の紹介をするようにしているつもりです(…シラバスには「授業態度」も評価対象になると明記されていますから、出席するのは大前提です)。また、“ミニ課題”も、授業の内容と対応づけながらすすめるといいでしょう。
「フィールドワーク法」という授業ではあるものの、もう少し広い意味で調査(社会調査)のためのものの見方・考え方について触れているつもりです。本格的な調査・研究の際には、より具体的なフィールドワークの計画が必要になりますが、一連のふるまいについては、適用可能なはずです。

2004年07月14日

 修士論文の発表を聞いて考えた。

昨日の晩、大学院・ソシオセマンティクスプログラム(SSP)のミーティング。今学期で修士課程を修了予定の学生が、最終試験(プレゼンテーション)のリハーサルをおこないました。発表した学生それぞれのテーマはちがうものの、いくつか気づいたこと。

(1)実証的ということ:SSPにかぎらず、どこのプログラムでも実証的な研究が推奨されていると思います(実装的?、というのもふくめて)。これは、個人的には良いことだと考えていて、コンパクトでもいいから、(広い意味での)データ分析をおこなって、そのなかからアイデアを出す…というスタンス。あえて極端に言うと、内容はともかく、調査のデザイン・実施・分析・考察・報告という一連のプロセスをひとりで“やりくり”できるか、が問われるということです。考えてばかり(頭でっかち)の学生も少なくないし、だからといって分析そのものが目的になる(とりあえずデータ分析…)パターンもあります。じぶんが修士の学生だったころを考えると、まぁそんなものか…と思ったり。バランスの良さが大切です。
「じゃあ、どうすればいいの?」という質問に、きちんとした答えはないのですが、ひとつは「じぶんのことばでしゃべること」だと思います。じぶんで意味のわからないことば/きちんと言い換えることができないことばは(たとえそれが“学問的な響き”をもっていたり、担当教員が好んで連呼していたり、ちょっとカッコよくてもっともらしかったりしても)使わない、ということ。逆に、わからないんだったら、ちゃんとことば(概念)を勉強すること。これを意識しすぎると、沈黙せざるをえなくなるのですが、意識的に日常生活のことば(ことばがムリなら、具体的なエピソード)で言い換えてみること/語ってみること、これは大切です。

(2)ストーリー:昨晩聞いていて感じたのですが、やはり、プレゼンテーションの構成がキーなのかもしれません。最終試験がプレゼンテーションだということは、当然、プレゼンテーションをきちんとデザインしなければならないわけで、論文とは少しことなるコミュニケーションを意識しないとマズイですね。一連の調査・研究の成果を20分間に凝縮するのは、なかなか難しいとは思うのですが。目的・方法などについては、きちんと整理してわかりやすく。そして展望や今後の課題ということについては、もっと大胆に。
もうひとつ、発表20分+質疑10分という構成について。これは、20分だけ“やりくり”する(あるいはなんとか凌ぐ)という考えではダメなのです。つまり、30分(想定される質問への対応もふくめて)を意識するということ。プレゼンテーションをする立場だとそんな余裕はないかもしれないけれど、最後の10分(質疑・コメント)をつうじて、気づきがあったり、あたらしいアイデアが生まれたりすることもあるわけで、むしろ、それがひとつの目的なのだと考えてみる。20分間のプレゼンテーションは、その10分間のためにある…と発想してみてはどうでしょう?

最終試験は2週間後の27日(火)です。論文はすでに提出されているので、もはや取り返すことはできないのですが、最終試験に向けての“チューニング”はまだまだ可能だと思います。がんばってください。

2004年04月09日

 はじまりました。

昨日から、授業がスタートしました。あっという間に3年間が過ぎ去り、4年目の春です。朝、クルマを運転しながらいろいろと考えました。学生の気質が変わったとか、学力が低下したとか、いろいろな議論はありますが、本当にそうなんだろうか?

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【昨日の朝。もうすぐ到着です。】

たしかに、かつての“あたらしい”キャンパスは、15年ほどの時間を経て変わっています。“昔はこうだった…”と設立当初の熱い雰囲気について語ることはいいのですが、やはり、どちらかというと、つねに〈いま〉と〈これから〉を考えたいと思います(もちろん、昔はどうでもいい、という意味ではなく)。学生にしてみても、“昔はこうだった…”と言われることは、かならずしもハッピーなことではないでしょう。不安さえおぼえてしまうかもしれません。

忙しいことは事実だし、ますます忙しくなりそうな予感ですが、もう一度、じぶんの役割について考えました。やはり、きちんと学生と向き合って、話をしたい(フェイス・トゥ・フェイスにかぎらず)。授業やプロジェクトというかたちをとらざるをえないとは思うのですが、とにかく、マジメに丁寧にこの仕事をしたい。何よりも、ぼく自身が仕事を楽しめる状況をつくらなければ、つまり、教員が活き活きと楽しそうにしていなければ、学生も楽しくならないでしょうから…。新学期はいつも熱いです。

2004年03月15日

 「戦いかた」を変えてみる。

【まえがき】驚くべきことに、そして不本意なことに、googleで「財前五郎」と入力すると、この記事(2003年10月18日)が1位になっています(2004年3月14日現在)。で、そのためか“財前派”(…と、勝手に呼びます)のひとからコメントが書き込まれています。とりあえず、書き込んでおこうっていう感じで、コメントがつながっていくんでしょうか…。(かくいうぼくは、“大河内派”なんですけど)

【さて、本題】素直にテレビを観ていればいいのでしょうが、ついつい、ふだん考えていることと結びつけてしまいます(その意味では、脚本の構成がうまいということなのかもしれません…褒めすぎ)。相変わらず、ハマっております。いよいよ最終回も間近です。

書くのがだいぶ遅れてしまいましたが、4日放送の「白い巨塔」は、良かったですね。とくに印象に残りました。
「戦いかたを間違っていたのかもしれない…」という認識。これがきっかけとなって、そもそも何が問題なのかが変わる。争点が変わることで、あたらしいことがらが問題として見えてくる…。
いわゆる「技術的な合理性(technical rationality)」ではなくて、「コミュニケーションの実践(reflection-in-action)」が問われるかたちになりました(ショーンの本では別の訳ですが、コミュニケーションということばでいいと思います)。当然のことながら、プロフェッショナルとしての知識や技術は重要なのですが、その知識や技術を活かす〈場〉において、どのようなコミュニケーションがおこなわれたか…ということが、結局のところは、ひとと接する仕事のクオリティに直結するという点がクローズアップされました。
ドラマの中では、「説明責任」「インフォームドコンセント」の問題が強調されていたようですが、じつは、ふだんの何気ないことば遣いや、動作、ちょっとしたしぐさなども、ひととひととの関係性を考える上で無視することができないということです。とくに、医者と患者、教員と学生など、比較的わかりやすいかたちで関係性が規定されている場合、この問題は重要です。無理に愛想よくするとか、ヘンに迎合する(ゴキゲンをうかがう)のではなく、きちんと向き合うということです。プロフェッショナルとしての資質を問うとき、知識や技術面よりも、クライアント(広い意味でのクライアント)にどのように接するのか、どのような関係性を構築していくのかという意味でのコミュニケーション能力(あるいはセンス)こそが重要なのです。

たとえば、プロフェッショナルとしてのファシリテーション能力について考えるとき、どうしてもファシリテーションの“効果”に着目しがちです。そして、目標が明確になっていればいるほど、ファシリテーションの成否が見えやすくなります。しかし、技術としてのファシリテーションがすべてではない…ということです。コミュニケーションとしてのファシリテーションを理解すること。そのための考え方や方法についてはまだまだじゅうぶんに議論されていないようです。
「戦いかた」を変えてみる…。これによって、あたらしい理解が生まれることがあります。

(さぁ、こんな理屈は抜きにして、最終回で泣こう。)

2004年02月07日

 今学期をふりカエル(03秋)

(あぁ、もう2月ですよ)この時期、期末試験や入試などでドタバタしていますが、ちょっと気づいたこと。

たとえば、一学期に開講される授業の数(コマ数)を増やしてみる。単純に考えると、クラスの規模は小さくなる。つまり、少人数のクラスがたくさんできる…。開講科目が多様になれば、選択の幅が拡がり、学生はじぶんの関心事に応じて柔軟に学習計画を立てることができる。

というほど、単純ではありません、大学のカリキュラムは…。学生は、曜日や時間で履修計画を立てる(ことが少なくない)し、それなりに居心地の良いクラスのサイズがあります。もちろん、年度によって、入学してくる学生の“気質”(あえて“学力”とは書かない)がちがっていたり、いろいろなウワサによって、学生の履修パターンが変わったりします。

厳密な意味での因果関係はわからないのですが、今学期は少しちがいを感じました。

●看護医療学部の学生が来た…。
まず、「行動と社会関係」の授業を看護医療学部の学生が数名履修しました(過去2年間は、誰もいないか、いたとしても、わずかに1名程度)。これは、素朴によろこぶべきことです。おなじキャンパスにいながら、あまり交流する機会がないので、もっと看護医療学部の学生が履修してくれれば(もちろん、履修することに意味があれば…ですが)いいと思います。

理由はシンプルで、これまで2時限目に開講していたのを今学期は3時限目(13:00〜)にしたこと…なのかもしれません。ちょっと距離があるので、教室間の移動がやはり大変なのでしょう。3時限目にすれば、昼休み(といっても短めですが)をはさむので、余裕を持って移動できます。(授業の内容によりますが)3時限目に開講すれば、履修する学生のバリエーションが増える(かもしれない)ということでしょうか。
いずれにせよ、「行動と社会関係」の授業で取り扱っている内容(素材)は、看護医療学部の学生にも役立つと思うので(逆に、「スリーテン」「ウィンターサバイバル」などの演習について、どのように考えるか、学生の意見を聞いてみたいので)、来年度も3時限目にしてみようか…と思います。

●1時限目なのに学生がたくさん…しかも出席率はわりと高かった。
もうひとつ、「社会調査法B」(来年度より「フィールドワーク法」)にも変化がありました。過去2年間はだいたい40人程度で開講していました(とくに履修制限は必要なく、ふつうにそのくらいの規模に落ち着く感じでした)。この授業は朝が早いこともあってか、徐々に出席者数が減っていくというパターンだったのですが、今学期は70名規模(教室が窮屈ですみませんでした)、そして学期をつうじて出席率もわりと高かったと思います。

その理由は、秋学期に開講したということかもしれません(ここからは、かなり勝手な想像です)。そもそも「社会調査法B」はその名称どおり、方法論的な議論・演習が中心で、その性格上1年生(2年生)の受講が多い授業です。1年生の授業えらびは、高校生から大学生への環境の変化(あたらしい環境への適応)とともにおこなわれるので、上手くやることが重要です。大学の授業はどのくらい大変なのか、1時限目(厳密に言うと、藤沢市遠藤における1時限目)がどのくらい眠いか、グループワークにおける人間関係がどのくらいストレスを生むか…などなど、さまざまなことを実体験をともなうかたちで理解することなく、「初めての履修登録」をするわけです。(当然、かならずしも信憑性の高くないセンパイたちの助言もあったりして、ノイズが入ります)
つまり、1年生の春学期の履修計画は「初めて」のことがあまりにも多いのです。今年度は、これまで春学期の1時限目に開講してきた「社会調査法B」を、秋学期に開講したのですが、かなり学生の質(つまりは授業の質)が変わったように思います。1年生は春学期に学生生活を送り、その上で1時限目を履修するわけですから、“それなり”の意識の高さと覚悟をもった学生が履修したようです。結果として、授業そのもののクオリティも向上したと思います。

かなり感覚的で、当たり前の話ですが、じぶんの授業をどこに・どのタイミングに配置するかによって、履修する学生も変わる、ということでしょうか(当たり前、と思いつつ試したことはありませんでした)。秋学期は、いろいろな実務的な調整の結果として、開講する時間(時限)や学期が変わったのですが、ある程度はこちらで意識的に変えることができるわけです。シラバス(授業内容や運営方法)だけではなく、開講時間・時期も“実験”のために使える…ということです。

いま、来期からの〈場〉のチカラプロジェクトの履修希望者の選考をすすめている最中ですが、希望者のなかに「社会調査法B」の履修者が多くふくまれている…というのもこれまでにはなかったパターンです。ぼく自身の志向(試行)する調査方法・アプローチを、授業をつうじて知った上で「研究プロジェクト」を履修するのは、一つのパターンとして歓迎すべきなのでしょう。

2004年01月02日

 書き初め

無事に新年をむかえました。今年も、ちびちびとブログを続けます。

昨年は、いろいろなことがあったのですが、なんとか“厄年”をしのぎました(今年は“後厄”ですけど)。さて、“厄年”は、そもそもは“役年”から来ているとも言われているわけで、昨年は、それなりの歳になったことをあらためて意識しました。30代は、責任だけあって権限がないというしごと(=まさに雑用というやつです)が多かったように思うのですが、さすがに40代になると、(もちろんそれほどのスケールではないにせよ)責任もそして権限もあたえられるしごとが多くなってきました。それによって、ストレスのレベルが上がったり、無理をして体調を崩したり(当然、昔のように無理はきかなくなってきています)、ということで“役年”の年齢が"厄年”になるわけです。

たしかに、去年は国際学会の事務局長というしごともあったし、学部のしごとも多くなってきました。思っていたよりも学部のしごとが大変で、かつ突発的に予定が入ったりするので、昨年の秋以降はスケジュールがめちゃくちゃになりました。もう少し余裕をもってスケジュールを決めないと(つまり突発的なしごとに備えて、ある程度の“余白”をつくっておかないと!)、しごとのクオリティも下がってしまう結果になります。(と言いつつ、未完のまま年を越したしごともいくつかあるし…。関係者の皆さな、スミマセン。すぐやります。)

2004年です。慶応につとめてまもなく3年になります。最初の2年間は(いま考えるとよくそんなことできたなぁ、とわれながら感心しますが)、毎週京都へ日帰りで授業に出かけていて、ドタバタしつつ終わってしまいました。昨年も夏までは国際学会のしごとでかなり時間をとられていて、それが終わったと思ったら学部のしごとが山のように…。ま、“役年”なのだから、ヒマだったら逆にさびしいわけですが、あっという間の3年間です。
その間、授業に関してはほぼカタチがまとまってきたと思います。これまでの経験では、大体1年間やれば、授業のデザイン、そして学生たちとの距離感やコミュニケーションのスタイルなどもわかってくるのですが、3年目でほぼ固まってくる感じです。それなりに、エンジョイしながら過ごすことができていると思います。けっこう、毎日が楽しい。充実しています。

ただ、調査・研究面ではいまひとつです。雑務や授業で時間がない…というのは、ある程度は「言い訳」になると思いますが、やはりじぶんなりに本を読んだり、文章を書いたりという時間をきちんとつくらないと、ダメになります。今年は、ここ数年考えてきたこと、実践してきたことを整理して、カタチにしたいと思います。
あと、身体ももう少し動かして、健康面にも気を遣いたいと思います。カテキン茶に頼ることなく、体脂肪を燃やすことにします。