「的な」という表現

加藤文俊研究室の主要なテーマは、人びとにとって「居心地のいい場所(グッドプレイス)」とは何かについて考えることです。わたしたちが、絶え間ないコミュニケーションのなかに「いる」存在だということをふまえて、まずは、日常生活をつぶさに観察することからはじめます。
 
今年度は「的な」というテーマで、調査研究をすすめています。フィールドワークで発見した〈何か〉をことばにするのが難しいとき、あるいはまだことばさえあたえられていない〈何か〉に向き合うとき、わたしたちは別の〈何か〉にたとえたり、見立てたりします。フィールドワークに求められる隠喩的・比喩的な表現を「的な」と呼んで、質的な調査研究のありようについて考えてみることにしました。

Metaphorical imagination unfolds

Our project aims to explore the ways in which various “good places” are shaped and reshaped through our communication processes. Acknowledging that we are always “in-communication,” our research begins with a series of critical observations of our day-to-day activities.
 
This year, we are conducting a project named “tekina (its like…).” We rely on metaphors when we encounter “something” that is difficult to put into proper words. Or, occasionally, we need to name the “something” to begin with. “Tekina” is the term to represent metaphorical expressions through which we can begin to speculate upon in qualitative research.

パロディ、あるある

「的な」という表現によってコミュニケーションが促されるとき、じつは「受け手」の読解レベルが試されるということになります。そもそも、語りたい〈何か〉が、何にたとえられているのか、何に見立てられているのかを知らなければ、「的な」という表現は役に立たないことになります。〈何か〉を伝えるための工夫や方法でありながら、前提となる知識を持ち合わせていないと、理解できません。
 
「パロディ」や「あるある」と呼ばれる表現も、同じような状況をもたらします。上質なものは、何が「パロディ」の対象になっているかがわかりやすく、かつその対象からのギャップや誇張があればこそ、その表現を味わうことができます。「あるある」も、同様です。「あるある」を目にしたとき、じぶん自身の経験とすぐさま結びつけることができれば、頷くことができる。「パロディ」や「あるある」は、「受け手」の能力を執拗に要求する、なかなか難しい表現です。

Parodies, typical stories

Whenever our communication is facilitated through using “tekina” expressions, the receiver’s capacity is constantly challenged. Without knowing the ideas and assumptions behind the metaphors, “tekina” does not function properly. While “tekina” is for promoting better communication, we cannot appreciate its role when we do not share the same presuppositions.
 
Parodies and typical stories may be the same. When a parody is carefully constructed, it succeeds to deliver intended messages with a twist and exaggeration. Typical stories as well. If one can immediately relate to a story given his/her experiences, it becomes an entry point to further facilitate on-going communication. Parodies and typical stories, as types of “tekina,” are difficult types of communication for they always demand for our understanding capabilities.

先人たちに学ぶ

「的な」というキーワードをとおして、メディアと表現の多様性について考えるにあたって、先人たちの生きざまに着目することにしました。グループに分かれて、それぞれの人物について、個性的な表現のあり方、さらには、それを成り立たせたであろう文化的・社会的な文脈を調べることを目指しました。
 
今回は、吉田初三郎、成瀬巳喜男、タイガー立石、宮武外骨の4人をえらびました。それぞれの人生は、時代的には重複する部分もあるものの、直接のつながりはないはずです。マップ、映像、グラフィック、テキストと、一人ひとりのえらんだ媒体も表現方法もちがいます。でも、いずれも、既知の世界から、想像力と技法を駆使して、じぶんの世界を拡張してゆくための方法や態度を考えるきっかけになります。

Learning from our predecessors

Based on our discussions on metaphorical imaginations, we examined a variety of media and expressions. In doing so, we worked in groups to study life stories of our “predecessors” and the socio-cultural contexts in which they were embedded.
 
The “predecessors”are: Hatsusaburo Yoshida, Mikio Naruse, Tiger Tateishi, and Gaikotsu Miyatake. All had their own styles; maps, movies, graphics and words, to construct their “world views.” What they had in common, was that they all made full use of their imaginations and creative techniques to expand their understandings about the surroundings. There, we can find many lessons to develop our own ways of conducting field research.

桜丘を知る

先人たちの流儀を学んだので、こんどは、実際にまちを歩きながら、あらためて「的な」について考えてみます。大規模な再開発に向けて、いま大きく変りつつある桜丘町(東京都渋谷区)を、フィールドとしてえらびました。10月末に多くの店舗が閉店となり、桜丘は日に日に変わっています。わたしたちの関心は、フィールドワーカーとしての世界のとらえかた、そして表現のしかたにあります。したがって、「桜丘的」な〈モノ・コト〉を発見するのではなく、桜丘町のフィールドワークをとおして、わたしたち自身の方法や態度を知るという「的な桜丘」を考えることこそが優先的な課題になります。
 
現場に触れ、身体をなじませておくために、2018年夏季特別研究プロジェクトとして「桜丘フィールドワーク」を実施しました。折り本をつくったり、風俗採集をおこなったりしながら、メディアと表現について、実践的な学びを試みました。

Understanding Sakuragaoka

Given the studies on our “predecessors,” our next step is to think about the idea of “tekina” again, in practice. As a research site, we chose Sakuragaoka, Shibuya, Tokyo, where a large-scale redevelopment project is about to begin. Many shops ended their business by the end of October, and Sakuragaoka is rapidly changing day by day. Here, our emphasis is given to explore our unique ways -- methods and attitudes -- to understand Sakuragaoka, rather than to discover the characteristics of Sakuragaoka.
 
To begin with, we conducted “Sakuragaoka Fieldwork” as a Special Research Project in Summer, 2018. In the project, we strolled around the neighborhood, created a small booklet, worked on modernological observation, in order to explore a variety of media and expressions.

的な桜丘

まちをどのように感じ、どのように表すのか。 2018年度秋学期は、5つのグループ(学部2〜3年生)に分かれて桜丘町を歩き、まちに向き合う方法と態度について考えています。プロジェクトの成果は、2019年2月8日(土)〜10日(月)にかけて開かれる「フィールドワーク展XV:ドリップ」で展示する予定です。

Ways of knowing Sakuragaoka

In Fall Semester 2018, we are conducting fieldwork in Sakuragaoka, Shibuya, Tokyo. There, we explore our unique ways through which we understand and describe our experiences in the vicinity. Findings of the project will be presented at “Fieldwork Exhibition XV” held during Saturday, February 8 through Monday, February 10, 2019.

01: 嗅ぐ的な桜丘

まちには、においが漂います。においは、五感のなかでも特徴的なものです。同じ時間や場所を共有しなければ、におい自体を共有するのが難しいからです。その上、においは、人によって感じ方も、表現の仕方もことなります。わたしたちは、「においウォーキング」という活動をとおして、においのとらえ方の開発を試みています。 (小梶 直・Nuey Pitcha Suphantarida・水野 元太)
 

02: 見届ける的な桜丘

再開発で変わりゆく桜丘には、いくつもの「終わり」と「はじまり」があります。そして、その変化を見届ける人たちもいます。わたしたちは、こうした変化を「見届ける人」に注目することにしました。映像、テキスト、イラストの3つの表現媒体を駆使して、桜丘の人びととのコミュニケーションの場面をつくりながら、桜丘を理解する試みです。 (佐藤 しずく・比留川 路乃・牧野 岳)
 

03: 接する的な桜丘

わたしたちは、まちとの直接的な接点は、自分たちの「身体」そのものだということにあらためて着目します。フィールドワーカーとしての「身体」を使って、桜丘をとらえる試みです。たとえば傾斜を背中で受け止めることで、歩くだけではわからない、あたらしい「坂道」を感じることができるはず。わたしたちがセンサーとなって、「接する的な」桜丘の理解を創造します。(久慈 麻友・小島 信一郎・佐々木 茅乃)
 

04: 閉じる的な桜丘

わたしたちは、再開発によって「閉店」を迫られる店の最期にくり返し立ち会っています。ドラマチックな終わり方を期待していたものの、現実とのあいだにはギャップがあることもわかりました。さらに興味深いのは、同じ「閉店」を見ているのに、メンバーによって感じ方も表現の仕方も違うという点です。浮かび上がってきた、さまざまな「ずれ」に注目することで、わたしたちの「的な」を見つけていくつもりです。(木村 真清・笹川 陽子・染谷 めい)
 

05: 身につける的な桜丘

「身につけるもの」は、豊かな表現力をもち、人びとの印象をかたどるメディアです。わたしたちは、「身につけるもの」の価値を感じながら、桜丘町のお土産をつくることにしました。つくるのは、Tシャツです。Tシャツならば、いいことばかりではないリアルな体験や、なんてことない日常も、特別なシーンになります。Tシャツならば、家のタンスのなかでは思い出の品に、着て出かければ思い出話のきっかけになるのです。(太田 風美・日下 真緒・高島 秀二郎)